乡音无改

上大学时我旁听过哲学系的课。陈老师操着浓重的四川口音讲罗素、维特根斯坦。21年前的今天他仓促地离开上海。偶尔在网上看到,他还在美国,至今未重返故土。有时幻想他回家的情景,便浮现出贺知章的诗:“少小离家老大回,乡音未改鬓毛衰,儿童相见不相识,笑问客从何处来。”
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# by nschinese | 2010-06-04 18:19 | 成語日記

令人遐想

三菱一号馆的一室中挂满马奈为莫里索画的肖像。
《带堇花装饰帽的贝尔特·莫里索》的旁边的两幅更吸引我。
她的眼神并不妩媚,而是直逼逼地盯着我们,凛然不可侵犯。
不油地想读她的传记,这位印象派中唯一女画家的生平令人遐想。
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# by nschinese | 2010-05-30 09:44

先入为主

拧开瓶盖,注入杯盏,一股酒香扑鼻而来,比我想像的更清冽,更粗旷。
它来自日本古都,是一次吟诗歌舞后的礼物,原以为酒中更多脂粉气。
先入为主的印象被豪爽地击破,口中的余香仿佛一幅百步穿杨的彩绘。
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# by nschinese | 2010-05-23 20:30

温故知新

一进家门,小女儿就大声嚷嚷:“好像爸爸啊!”。她在看《龙猫》。这张DVD在书架上沉睡了好几年,在这个雨天,不知她为什么会把它翻出来重看。

我们曾经不厌其烦地看《龙猫》和《魔女的宅急便》。熟得台词都能背下来了。虽说是陪她们,其实自己也很想看的。特别是《魔女的宅急便》,看了几遍后,体会出其中的味道。在那么多好心人的帮助下,小魔女开一个面包房,这跟我办汉语教室的经历还真差不多。

怪不得上个月大女儿在钢琴班汇报表演时,弹的是《魔女的宅急便》的主题曲。当时我还责怪她不弹古典音乐的曲子,而她本人也困惑不解,像她这样一个没有梦想的人怎么会选了这首与自己不般配的曲子。

也许,所有的偶然的背后都隐藏着必然吧。
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# by nschinese | 2010-05-23 20:03

张冠李戴

做一个新策划总是要想有多少收入。可我一算钱,就有人笑我打如意算盘。
她说:“狸还没到手,就算起它的皮毛值多少钱。”
其中的“狸”不是“狸猫”,而是“貉”。在借汉字给动植物命名时,这种张冠李戴的事不在少数。

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# by nschinese | 2010-05-20 22:35

何以解忧

曹操说∶ 何以解忧,唯有杜康。
阿城在《棋王》中说∶何以解忧,唯有下棋。我的那些下围棋的朋友都喜欢这句话。
今天重读斯·茨威格的《象棋的故事》,感到平凡的游戏中折射出许多人生的道理。

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# by nschinese | 2010-05-14 00:13

三点一线

有个学生快过30岁生日了。他郑重宣布∶子曰“三十而立”,从今以后我要敢于舍弃,更果断地生活。接着问大家三十岁时想过什么。
那时我刚到日本不久,学校、家、打工的店三点一线,好像什么也没想。


ある学生がもうすぐ30才の誕生日を迎える。彼はまじめに宣言した。子曰く「三十にして立つ」、今日から私はもっと決定力をもって生きていこうと。そして、みんなに30才のときの考えを伺った。
そのとき、日本にきたばかりで、学校・家・アルバイトの店の間だけ往復していて、なにも深く考える暇がなかった。
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# by nschinese | 2010-05-12 23:50

一无所有

舞台上的崔健有点儿发福了。我最想听的就是那首“一无所有”。听到它就想起大学毕业时的最后一个晚上。宿舍里通宵引吭高歌,唱的最多的就是它了。当时“一无所有”的同学们如今过得怎样呢?

台上の崔健はやや太った。一番聴きたかったのは、あの「すっからかん」である。聴くと、大学卒業したときの最後の夜を思い出す。寮の中で徹夜に歌った。中に一番多く歌ったのはその曲だった。「すっからかん」である友達は、いまはいかが過ごしだろうか。
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# by nschinese | 2010-05-07 00:26

自得其乐

我一直不知道在日语里“陀螺”写做“独乐”。我觉得这名字起得好,好像看到陀螺一脸笑容、自得其乐地转动。可也有人听后,联想到“寂寞”。

日本語の中で、「こま」のことを「独楽」と書くのをいままで知らなかった。いい名前だと思う。コマが笑みをこぼえて、ひとり満足げに回っているのが目に浮かぶ。でも、それを聴いて「さみしい」と連想する人もいる。
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# by nschinese | 2010-05-04 23:40

不谋而合

今年送给大女儿的生日礼物是一台自行车。她看着样本,仔细地挑了好几天。取车时才发现,她挑的车子从形状到颜色都跟我现在骑的那辆一模一样,只是小了一号而已。对于这一不谋而合,女儿感到有点沮丧。

今年、娘への誕生日プレゼントは、自転車だった。彼女はカタログを手にしながら数日間よくチェックした。受け取るときに、選んだ自転車は形から色までいま私が乗っているのと、そっくりだと気づいた。一回り小さいだけ。この偶然の一致に、娘が悔しく思っているらしい。
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# by nschinese | 2010-05-01 23:15

侃侃而谈

一天在休息室里,李老师跟我侃侃而谈,学生太少,开不出课什么的。
临走时用日语大声说道:“遇到烦恼,就找我谈心吧。”
真是个乐观的人。


学生が少ないからクラスがスタートできないなど、休憩室で李先生にいっぱい聴かされた。
しまいに日本語で「悩みがあったら、相談しに来てね」と大声で言われた。
前向きな人だね。
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# by nschinese | 2010-04-25 13:44

一针见血

明治22年有一则广告。卖的药是“快脑丸”,大概跟现在中国卖的“脑白金”差不多。
广告上一针见血地指出:“頭脳(のうずい)の不完全(よからぬ)なる者は馬鹿であります。”(笨蛋者,脑子不好使的人之谓也)


明治22年に「快脳丸」の広告が出された。それはいま中国で売っている「脳白金(のうばいじん)」に似ているのだろう。広告には「頭脳(のうずい)の不完全(よからぬ)なる者は馬鹿であります。」と適切に指摘していた。
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# by nschinese | 2010-04-15 09:08 | 成語日記

怜香惜玉

藤田小姐喜欢在mixi上诉说自己的寂寞。铃木君看后怜香惜玉的。
他女友却说,寂寞的人哪有勇气把它写出来。
到底哪个女人的话可信呢,铃木君感到困惑。


藤田さんはよくmixiで自分の寂しさを吐露し、それを読んで鈴木君は可哀そうと思う。
しかし、鈴木君の彼女に言わせると、寂しい人はそれを書く勇気がない。
どっちの話を信じて良いか、鈴木君はいまも困惑している。
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# by nschinese | 2010-04-14 23:35 | 成語日記

女人心,天上云

铃木的女友说自己喜欢温柔男人,哪怕是“草食男子”也好。铃木就尽量克制住自己的任性,一见到她露出不满的神色就赔礼道歉。可是女朋友还是提出分手,说缺乏那种跟坏男人在一起的心跳的感觉。铃木深有感触地对我说:「女人心,天上云啊。」

鈴木くんの彼女は「草食」でも良い、優しい男が好きというので、鈴木くんはわがままを我慢して、彼女がちょっとでも不満顔になるとすぐ謝ることにしていた。それなのに、ちょいワルの男と一緒にいるどきどきする感じがないから別れようと、彼女に告げられた。「女の心は空の雲だね」と鈴木くんはしみじみと私に言った。
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# by nschinese | 2010-04-13 10:12 | 成語日記

笨嘴拙舌

有人请铃木吃饭,酒足饭饱之后才看菜谱。笨嘴拙舌的他竟说:“原来这家店也有好吃的菜啊。”我为他捏了一把汗。

口下手の鈴木さんがご馳走になった。お腹一杯になってから、彼ははじめてメニューを手に取って「美味しい料理もこの店にあるのね」と言った。となりにいる私は冷や汗をかいた。
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# by nschinese | 2010-04-11 09:33 | 成語日記

哄堂大笑

单词笔记:。
按辞典上的说法,漫才是相声,满谈和落语都是一个人表演的,就叫单口相声。
其实落语与满谈不同。说落语要讲故事。里面还要有些“落”,就是相声里说的“包袱”。
看来,“落语”介于相声与评书之间。译为“说书”比较妥贴。
说书场叫“寄席”。这里寄存的不是包裹,而是人。

落语家抖包袱时,哄堂大笑。而我似懂非懂,也跟着笑了。
大笑之后心情舒畅,也对得起2500日元的门票了。
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# by nschinese | 2010-04-04 10:34 | 成語日記

手舞足蹈

小时候家里没有电视。守着收音机听相声、评书是一大乐趣。什么关公战秦琼啊、岳飞传啊。听完后拿着一根竹棍做剑,在大衣柜前笔划。姥爷说这小子手舞足蹈的,是不是有病啊。



小さいとき、家にテレビはなかった。ラジオの側で相声、評書を聴くのが楽しみのひとつだった。関羽と秦琼の戦いとか、岳飛伝とか。聴き終わってから、洋服タンスの鏡の前で竹の棒を剣のように振りまわして、母方のおじいちゃんに、この子は変な踊りをして、頭が大丈夫かと言われた。
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# by nschinese | 2010-04-04 10:25 | 成語日記

浪费表情

超市刚一开门,我就去买东西。站在收银柜对面的阿姨大约50多岁,身材矮小,笑容可掬,动作麻利。接下我的钱后,马上转身一颠一颠地去按收银机屏幕。好像跳舞一样。其实,我身后一个人也没有,她的快捷多浪费啊。

スーパーが開店してすぐに入った。レジの向こうに立っている50代のおばさんからは、ほほえみがこぼれています。体が小さくてフットワークが軽く、お金を受け取ってから、踊っているようにレジの機械を押しにいった。後ろに誰もいないのに、無駄に速いですね。
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# by nschinese | 2010-04-03 11:02 | 成語日記

正人君子

住在美国的好友刘强来信说:最近太太常说他虚伪。
他就在网上做了个心理测试,结果是伪善度5%,你是个大善人。
他洋洋得意地告诉了太太。可太太说,这只能说明你的伪善把出题者也蒙骗了。


アメリカの劉強さんからメールが来た。最近よく奥さんに偽善だと言われているそうだ。
ネットで心理テストをしたら、結果は「偽善度は5%で、あなたは善人だ」という。
劉さんは得意げに奥さんに教えた。これって出題者もあなたの偽善にだまされたことだよ、と奥さんに言われた。
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# by nschinese | 2010-04-01 10:03 | 成語日記

嚎啕大哭

今年天气反常。举行毕业典礼时樱花还未绽放。
和田小姐每年送走学生时都心潮起伏,听说今年居然嚎啕大哭。
没关系,有离别就有相遇,待到樱花盛开时。


今年の気候は異常だ。卒業式の時に桜はまだ咲いていない。
和田さん毎年学生を送るたびに感情が高ぶり、今年はなんと号泣したそうだ。
大丈夫だよ、別れがあれば、出会いがある。桜が咲く頃に。
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# by nschinese | 2010-03-30 07:49 | 成語日記

废话连篇

女儿上二年级了。最讨厌的就是作文。写日记时极不专心,废话连篇。
和田小姐是一位教师,她看了作文后捧腹大笑,连声夸奖。
她的评语是∶妙就妙在那些废话上。


小学校二年生の娘は作文が大嫌い。日記を付けるときも投げやりで、無駄話ばかりだ。
小学校の先生をしている和田さんに見せたら、お腹を抱えて笑いが止まらない、いっぱい褒めてもらった。
「おもしろさは無駄話にあり」だそうだ。
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# by nschinese | 2010-03-28 07:43 | 成語日記

欲言又止

我特嫌麻烦,午饭总是去同一家咖喱饭店,
买单时,老板娘总是鞠着躬说:“欢迎以后再来!"
今天是最后一天在那儿附近上班。本该道别,却欲言又止。


めんどくさがり屋のぼくは、いつものカレー屋で昼食を取る。
勘定するとき、奥さんはいつもお辞儀して「またお越しください」と言う。
今日はその近くでの出勤の最終日。別れの言葉を言わなきゃと思いながらも、言えなかった。
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# by nschinese | 2010-03-27 23:54 | 成語日記

英雄本色

山田小姐一年去迪斯尼乐园不下10次,下个月要在那儿成婚。
这回轮到自己当主人公了,不知她如何发挥出女演员的英雄本色。


年に10回以上ディズニーランドに行く山田さんが、来月そちらで結婚式を挙げるらしい。
自分が主人公の番になり、女優ぶりをいかに見せるのが楽しみだ。
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# by nschinese | 2010-03-26 23:28 | 成語日記

レッドクリッフⅡ

『レッドクリッフ』を見て一番感じたのは、現代色の濃い三国史物語りだという点だ。
監督がつけた現代色を読み取ることで、現代の発想を反省することにもつながる。

今日は、まず諸葛孔明の「借東風」のことについて考えよう。

子供のとき、三国史の物語を読む時に、ひとつ疑問をずっと抱いていた。
諸葛孔明の計算のほとんど理解できるが、扇を振って、風向きを変えた処だけはどうも納得できなかった。
もし風向きが変わらなかったら、どうするの?

高校時代、唐の詩人である杜牧の時を読んだ。
折戟沉沙铁未销, 自将磨洗认前期。 东风不与周郎便, 铜雀春深锁二乔。

後半の意味はこうだ。
もし東風が周瑜に助けなければ、周の妻(小喬)や同じ美人のお姉さん(大喬)は、数十年後、曹操が後に立てた銅雀台にさびしく住んでいたのだろう。

ようは、運がよかったという解釈だった。

古代の人は、この運命のことを、諸葛孔明の神通力に理由を求めたが、私たちの現代人はそれに納得しない。なんらかな理由が見つからないと、気がすまない。

映画の中では、1)天候の変化は諸葛孔明の長い農作業の経験から得た知識だ、また2)小喬の色気で曹操の決断力を鈍らせた、とした。かなり「合理的」に説明した。

合理的な解釈でも、「運命」とする解釈でも、あくまでも解釈にすぎない。どっちが正しいよりも、私たちが事実を受け入れる時に、解釈が果した役割の方がもっと重要です。

小さいときに合理的な理由を求めてきた自分は、いろんな失敗を重ねてきた今、「運命」とする解釈も悪くないと思うようになってきた。

そして、このような不況の世の中、激しい競争の世界で、勝ち負け、物事がうまく運ぶかつまずくかは、頻繁に起こる時代に、とくにうまく行かないとき、いちいち理由を求めると、神経はかなり疲れると思う。「うまく行かなかった」ときに、理由を探るよりも、諦めずに頑張ろうとする現代的な価値観も良いが、運命として受け入れ、この運勢の中で自分のベストを尽くし、次の一手を打ったらどうでしょうか。

「運」というのは、ずっと「良い」のままでもなく、ずっと「悪い」ことが続くこともなく、変わるから「運」と呼ぶからですね。
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# by nschinese | 2009-04-15 10:34 | 映画

自転車通勤

自転車通勤を始めました!    
と言っても、家から教室までのことではありません。
歩いても10足らずに着いてしまうので、なんの自慢にもなりません。

毎週金曜日に、本郷に行きますので、今週から自転車で行きました。
青梅街道から新宿へ、それから靖国通りを沿って後楽園まで、最後は急な坂を登って本郷に着きます。
45分ぐらいかかります。

防衛庁の前あたり、外堀両岸の桜がまだ枝に半分残っている季節ということもあって、東京の中心部は樹が多くて、こんなにきれいだと、初めて気づきました。
10数年、この地で暮らしてきたなのに・・・・・・

いままではずっと東京は仕事の場であって、リラックスしたいなら東京を出ようと思っていた。
考え方を変えると、楽しみも増えますね。
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# by nschinese | 2009-04-12 12:09 | できごと

『一博一品』紹介

中国語がわかる方ならご存知ですが、「博客」は、ブログの意味です。
ちなみに、ブロガーは「博主」と言います。
表題の『一博一品』とは、一人のブロガーが料理一品を持ってこい・・・ではなく、
それぞれエッセーを一本出すことです。
総勢30名(多くの方はお互いにあったこともないそうです)が執筆され、それに基づいて編集されたのは、この『一博一品』です。

詳しい内容については、「中国語通訳の手帖」をご覧になってください。

年始に、「中国語通訳の手帖」のwhyさんから本をいただいて、ずっと読んでなくて、ごめんなさい!
作者の何人かは、コメント欄で名前だけ拝見したことがあるので、勝手に知り合いの話を聞いているような気分で一気に読ませていただきました。
異国で生活する人の感想を知ることができるだけでなく、日中二ヶ国語の本なので外国語の勉強にもきっと役にたちます。お勧めです。
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# by nschinese | 2009-04-09 15:32

そんなに? あんなに?

中国では、「这个」、「那个」 という二つの指示語があるに対して、日本語では、「この、その、あの」と三つあります。ぼくはまだ「この、その、あの」を使いこなしていない。この前のブログ「最後まで頑張ります」で「そんなに細かいものを作った国の人だから」と書いた。「あんなに細かいもの」と言うべきじゃないかと指摘された。いったいどう違うか。

「中国語はじめの一歩」(木村英樹著 ちくま新書)によると、「日本語には対象との遠近の差で使い分ける「こ」と「あ」のほかに、対話の相手(聞き手)の領域に属する対象を指す「そ」があります」。

つまり、こういうことだ。

中国語なら、
                那个  
              
           A     这个      B


自分と相手の間なら、「这个」を使い、それ以外は、「那个」を使う。

日本語は、 もしぼくは「A」だったら、以下のようになる。
        
                  あの  
              
           A この        その B

なので、この場にないものは、「そんなに細かいもの」といわずに、「あんなに細かいもの」と言うべきだ。

ただし、「そんなに」も問題ないとおっしゃる日本人がいます。その方にとって、ぼくが中国人なので、中国のものを褒めているので、ぼくの領域に入っている、なので「そんなに」を使っても良いという文脈になるかと思います。
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# by nschinese | 2009-04-07 21:51

試験と選別

昨日、早稲田松竹で、アメリカのインディアナ州ワルシャワの今時の高校生の生活を記録したドキュメンタリー『アメリカン・ティーン』(オフィシャルサイト http://www.americanteen.jp/)を観た後に、神田川にそって中野坂上に歩いて帰ってきた。

日本での最初の花見は、高田馬場の近くの神田川の桜だったので、そちらを歩くと、来日当時のわくわくの気持ちや不安は蘇える。これは、まさに映画の中の大学入試試験の重圧の下に置かれたアメリカ高校生たちの気持ちと重ねる。自分が翻訳したばかりの中国の宋代における科挙競争の話も頭の中で浮かんでくる。

通過した後の時点において振り返ると、失敗したとしても、いつでもやり直す機会があるが、試験に向かう時点において、手に汗をにぎながらぜったい勝ってほしい気持ちいっぱいです。今になって、自分のことよりも、このような複雑な気持ちは、もっと自分の学生や娘たちに向かっている。

おそらく矛盾するのは常で、一方的に正しいことはないでしょう。
意欲に対して限られた機会の前に、選別という意味での試験制度は、私たちを苦しむものでありながら、エネルギーを引き出すものでもあります。その点を見極めて「試験・選別」システムと付き合って行きましょう。
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# by nschinese | 2009-04-02 10:10 | できごと

愚人節

春休みに「まったり」したいと宣言した小学生の長女が、さすがに退屈しはじめ、今日の夕飯に「はやしライス」を作ることにした。

「今日だから、やらなくてもいいのよ。やらなくても、だれも怒ってはいけないよ。」とこっそり長女に言った。

「そうだ!そうだ!・・・でも、他にやることもないし・・・」

「じゃ、はやしライスじゃなくて、カレーライスにしちゃえば・・・」

「う~ん」

さて、夕飯はどうなるかな。
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# by nschinese | 2009-04-01 09:56 | できごと

仕上げ

ぼくがてつだっている研究プロジェクト(にんぷろ=寧波プロジェクト)が、東アジア海域交流をテーマとするカルタを作り、ちびっ子の試しゲーム大会が金曜日に行われるため、娘たちを東大につれて行った。

その仕事(?)はお昼まで。午後は子守タイム。また安土城の時間になった。

六階の部分を仕上ました!


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仕上げといえば、いま翻訳中の2本の論文も今年度中に仕上なければならない。
ぼくが翻訳する時のスピードは、遅いとは言えないが、仕上げの段階になると、一気にスピードダウンする。
接続詞を調整し、もっと良い表現がないか、文を短くすることができないかと、ゆっくり推敲していく。
まだ終わらないかという焦りもありながら、モノが出来上がってくる喜びがもっと大きい。
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# by nschinese | 2009-03-30 09:47 | 安土城