試験と選別

昨日、早稲田松竹で、アメリカのインディアナ州ワルシャワの今時の高校生の生活を記録したドキュメンタリー『アメリカン・ティーン』(オフィシャルサイト http://www.americanteen.jp/)を観た後に、神田川にそって中野坂上に歩いて帰ってきた。

日本での最初の花見は、高田馬場の近くの神田川の桜だったので、そちらを歩くと、来日当時のわくわくの気持ちや不安は蘇える。これは、まさに映画の中の大学入試試験の重圧の下に置かれたアメリカ高校生たちの気持ちと重ねる。自分が翻訳したばかりの中国の宋代における科挙競争の話も頭の中で浮かんでくる。

通過した後の時点において振り返ると、失敗したとしても、いつでもやり直す機会があるが、試験に向かう時点において、手に汗をにぎながらぜったい勝ってほしい気持ちいっぱいです。今になって、自分のことよりも、このような複雑な気持ちは、もっと自分の学生や娘たちに向かっている。

おそらく矛盾するのは常で、一方的に正しいことはないでしょう。
意欲に対して限られた機会の前に、選別という意味での試験制度は、私たちを苦しむものでありながら、エネルギーを引き出すものでもあります。その点を見極めて「試験・選別」システムと付き合って行きましょう。
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by nschinese | 2009-04-02 10:10 | できごと
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