レッドクリッフⅡ

『レッドクリッフ』を見て一番感じたのは、現代色の濃い三国史物語りだという点だ。
監督がつけた現代色を読み取ることで、現代の発想を反省することにもつながる。

今日は、まず諸葛孔明の「借東風」のことについて考えよう。

子供のとき、三国史の物語を読む時に、ひとつ疑問をずっと抱いていた。
諸葛孔明の計算のほとんど理解できるが、扇を振って、風向きを変えた処だけはどうも納得できなかった。
もし風向きが変わらなかったら、どうするの?

高校時代、唐の詩人である杜牧の時を読んだ。
折戟沉沙铁未销, 自将磨洗认前期。 东风不与周郎便, 铜雀春深锁二乔。

後半の意味はこうだ。
もし東風が周瑜に助けなければ、周の妻(小喬)や同じ美人のお姉さん(大喬)は、数十年後、曹操が後に立てた銅雀台にさびしく住んでいたのだろう。

ようは、運がよかったという解釈だった。

古代の人は、この運命のことを、諸葛孔明の神通力に理由を求めたが、私たちの現代人はそれに納得しない。なんらかな理由が見つからないと、気がすまない。

映画の中では、1)天候の変化は諸葛孔明の長い農作業の経験から得た知識だ、また2)小喬の色気で曹操の決断力を鈍らせた、とした。かなり「合理的」に説明した。

合理的な解釈でも、「運命」とする解釈でも、あくまでも解釈にすぎない。どっちが正しいよりも、私たちが事実を受け入れる時に、解釈が果した役割の方がもっと重要です。

小さいときに合理的な理由を求めてきた自分は、いろんな失敗を重ねてきた今、「運命」とする解釈も悪くないと思うようになってきた。

そして、このような不況の世の中、激しい競争の世界で、勝ち負け、物事がうまく運ぶかつまずくかは、頻繁に起こる時代に、とくにうまく行かないとき、いちいち理由を求めると、神経はかなり疲れると思う。「うまく行かなかった」ときに、理由を探るよりも、諦めずに頑張ろうとする現代的な価値観も良いが、運命として受け入れ、この運勢の中で自分のベストを尽くし、次の一手を打ったらどうでしょうか。

「運」というのは、ずっと「良い」のままでもなく、ずっと「悪い」ことが続くこともなく、変わるから「運」と呼ぶからですね。
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by nschinese | 2009-04-15 10:34 | 映画
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