象と吉宗

先週、家の近所に象小屋があった話を書いた後、本を読んだりして、一人で面白くてしょうがない。
これっていわゆる「マイブーム」ということでしょうか。

大庭 脩『江戸時代の日中秘話』に「象の旅」という章によると、吉宗は中国商人に象を話を詳しく尋ね、連れて来いと頼んだそうだ。

また下の『徳川吉宗と康煕帝』の「吉宗と漢籍」章によると、吉宗は「暴れん坊将軍」の一面がよく知られているが、漢籍の輸入研究、さらに逆輸出に熱心し、文治の一面もあった。
徳川吉宗と康煕帝
大庭 脩 / 大修館書店
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その中、とくに明治維新後の法律にもつながる明清法律関係書物を詳しく研究したこと、後の『教育勅語』の規範でもある『六諭衍義』を、琉球を通して手に入れ、訓解和訳を施したなど、明清王朝の政治手法へ強い関心を示した事実は、江戸幕府の「鎖国」の意味を再考させる。

その時代は、幕府と清政府は海上貿易の厳禁と緩和を繰り返した時代である。しかし商人たちは、時には密売や時には海賊と協力するのも辞せずに海上貿易を続けようとしていた。

彼らの多くは中国の福建、広東と浙江章の人。その象を舟に載せて、運んで来た中国人の名前は「鄭大威」。
私の祖母の名字も「鄭」である(中国は夫婦別姓)、田舎は広東北部の海岸部にある。
もしかして同じ村の人?勝手に想像したりして。

おそらく「鄭成功」とはなんらなかの関係があるだろう。
鄭成功は、「国姓爺」という名前で日本人に知られる。
中国では時には「反清復明」、時には「収復台湾」(オランダ人と戦って台湾をおさめた)と称えられる人物であるが、「海賊」の側面を有するのも事実である。
ただし、彼は日本人の母を持つことを、日本に来てはじめて知った。

それはさておき、いったい、吉宗はなぜ象を輸入したのか。それに2ヶ月かけて、長崎から江戸まで歩く、大変世を騒がせることをさせたのか。
私は、象のパレードを利用して、将軍さまの威信を高めるためかと推測するが、
昨日日曜日、本屋で立ち読みして、吉宗の時代から、民衆娯楽が盛んになり、江戸が武士の町から町人の町に変わりつつあるという評価をわかった。

たとえば、吉宗は、江戸の隅田川堤(向島)や飛鳥山(王子)、御殿山(品川) などに庶民のために桜を植えさせた。
そのことによって、貴族の楽しみだった花見が、「花より団子」、バカ騒ぐの形へ変わってきた。

また江戸では、異人、珍しい動物などの見世物が増え、興行ビジネスができた。
なるほど。後の源助が象小屋を建てて、ショーにして観客に見せるのも時代の流れだった。
ちょうどいまの中野坂上は青梅街道の終点で、いくつかの宿がある場所だった。

身近なことから歴史を想像する面白さをあらためて知った。。
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by nschinese | 2006-05-15 10:51 | できごと
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