土曜日(18日)から、東京も涼しくなってきたが、盛岡駅に降りたとき、温度差のせいでやや寒く感じた。
人口も少ない、景気もイマイチのこの町を歩くと、なぜか心が落ち着く。 ちょっと戸惑ったのは、信号が赤で車もないとき、道をわかるかどうか。 左右を見ると、高校生も待っていたので、渡るのをやめたが、それはルールを守るというべきか、それとものんびりしているせいか、いずれにしても、好感を持った。 夕方、在来線を乗って、一ノ関へ。電車が長く止ると、ホームに降りて、きれいな空気を吸う。 次の日は、今回旅行の目玉、平泉へ。 まずは、毛越寺の遺跡を尋ねる。公園の真ん中に湖があり、その後ろに寺があったと思われる。平安末期、この世(此岸)に住んでいる人間が、湖を越えて、あの世(彼岸)を象徴する毛越寺を眺めていた。 この構造を、京都の平等院ではじめて目にした時、かなり感銘を受けた。 浄土世界を信じていた人々の思いを想像してみた。 金で作られた未来世界(はるかの未来かな)を象徴するのは、金色堂だというのは、言うまでもない。 金が大量に掘り出されたから、藤原三代が京都の文化を平泉文化まで広げた。 それよりも、中国人として興味を持つのは、大量の金は、九州を通して海を渡って寧波という地に送られ、宋との貿易品だった。 そして展示室には、宋から持ちされた『一切経』(大蔵経)が陳列されている。 金色堂から徒歩15分ぐらいで、義経が自害の地といわれる丘に着いた。「判官びいき」という言葉の由来を知った。それにしても、ジンギスカンになったのは…… バスで仙台に向かって、賑やかな大都会だったので、ここで泊まったら、夏休みが終わってしまったじゃないかと、一人でつぶやいながら、松島への切符を入手。 中国人として仙台についたのに、魯迅先生関係の所を尋ねないのは、大変失礼なこととも思うが、ごめんなさい、またの機会で。 霧雨の中、松島に到着。文字通り、「松の木が茂る島」が絵に描かれたようだ。 ただし、波がなく、海風も感じられないし、暗くなって歩く人が少ない海岸。 あまり期待しないが、舟を乗って島を見回る前に、瑞岩寺に入ったが、 お寺よりも、仙台藩の伊達家の宿泊地、今で言うと、保養所のようなところが、ふすまに書いた絵も、中国の古典を題材とするものが多い、周文王と釣をしていた呂尚、不思議な笑顔で分かっている寒山拾得。 こういうものを見ていると、常々に思うが、 中国の古典を重んじ、特に漢字を代々使ってきた日本は、中国とはライバル関係でもあるが、精神的には極めて共通的な部分があるはずと思う。 やはり、世界中、漢字を大事にする国って主にこの2つではないか。 現在では、考え方、マナー、ルールについて様々な違い、対立する部分もあるが、 それは、長く共有されてきた流れの中で、それぞれが振り子の両極にあることに過ぎないかとも思った。
by nschinese
| 2007-08-20 15:53
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