カテゴリ:勉強( 10 )

外国語勉強法

1、発音と羞恥心

言語を変えると、あるで人格が変わった例はいくらでもある。
日本語で上司にストレートに言えないことは、中国語を使うなら可能…
中国大使館に行くと、窓口で資料を投げる職員がいざ日本語に変えると、話し方がかわいくなる…それは上級者の話だ。

初級者について言えば、
教わった発音をお芝居をするようにまねしようとする人もいれば、
大げさじゃないか、ちょっと恥ずかしいと思う人もいるのだろう。

発音に関して、センスがあるかどうか、耳が良いかどうかとよく聞くが、
それ以前に、この羞恥心の有無を意識してみたらいかがですか?

2、作文と要約

作文能力を挙げるために、どうすれば良いか。

ある程度のレベルに達すると、たとえばぼくの場合、
よく日本語らしい言い回しを使わずに簡単な表現で済ませようとする。

ある先生に相談したら、よいと思われる文章の要約を作ってみたら、と言われました。
それがいいかも!
ただし勉強時間を作らないとね。(てんてんてん)
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by nschinese | 2008-06-11 10:27 | 勉強

可愛い上海人

春節(旧正月)に帰国するときに、上海で撮った写真です。

赤い字はちょっと見づらいが、「文明行路,做可爱的上海人」という言葉です。
要するに、「交通エチケットを守ろう、可愛い上海人になろう。」

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上海人はこれから可愛くなりますぞ!(笑)。

じつは、「可○」というのは、「すべき」という風に理解できます。

我爱她。
她可爱。    (彼女は愛されるべき人 転じて「カワイイ人」になる)

我怕上司。  (私は上司のことを恐れている。= 私は上司が怖いです。) 
上司很可怕。 (上司は恐れるべき人です。 = 上司は怖い(人)です。)

可笑 笑われるべき = おかしい(可笑しい)。

以上の理屈がわかると、中国語の「可爱」と日本語の「かわいい」の違いはわかるのでしょう。

私の高校時代に,国語(语文)教科書に『谁是最可爱的人』という名文が載っています。
一番「かわいい」人は誰だと思います。50年代の初めに朝鮮戦争の戦場で戦っている中国の軍人でした。
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by nschinese | 2008-04-03 09:30 | 勉強

中国語を教える心得

中国では「教学互長」という言葉がある。つまり、「教える」と「教わる」はお互いにプラスになる。私も、大学院時代の個人レッスンを含め、通算10年以上教えてきた経験の中で、学生から多くのことを学び、勉強者の立場になって教える方法を探すようになってきた。

ここで述べる心得は、一般論としての中国語教授法ではなく、あくまで「中野坂上中国語教室」という環境の中で経験して得たものである。
この「環境」とは、まず(1)少人数のクラス。最低3人で、満員クラス+振り替えに来る方で7人になる賑やかなときもたまにある。
それに(2)皆さんはほとんど20‐40代の社会人。平日なら仕事の後、または貴重な土日の時間を使ってレッスンにいらしている。その中には、片道1時間以上の時間を費やす方も含まれている。
さらに(3)月謝制なので月の終わりか初めに月謝をいただく。不満があれば、来月からやめられる制度である。変な言い方ですが、水商売と同じで、来月からお客さんが一人いないかもしれない。

このような制度なので、学生が一番学びたいときだけに商売として成り立つ。モチベーションが下がったらもう終わりだ。また仕事に、自分の趣味に忙しい年齢層の人ばかりなので、金銭よりも時間を無駄にしたくない。ゆえに、いかにモチベーションを保つか、充実に時間を過ごしてもらえるかに、成敗の鍵がある。

こういう風に言ってくると、先生というよりも、商売人に聞こえるかもしれない。もっとも、思い切って考えれば、語学教室はサービス業と言っても良いのではないか。そもそも制度上でも補助金がもらえる学校とは別のカテゴリーに属している。

それにしても、私にとっては、向上心が旺盛で忙しく、そして中国に好感をもつ学生のためにサービス業を提供することをむしろ誇らしく思うし、サービスで一番大切なのは、楽しいことと自分なりに理解している。学生が長く勉強を続けることは、自分のためにもなり、そもそも学生が途中で挫折しないためなのである。自分のエネルギーは、学生募集よりも、長く勉強してもらうことに注ぎたいと、ずっと思っている。

問題は、学生にとって一番楽しいことは何かということである。私なりに出した答えは、「話せるようになった!」である。
「話せること」を目指すゴールとするからには、「話せること」を直接にアプローチしていく。これは私の考えの出発点と言えるかもしれない。

じつは、私が初めてクラスを作ったきっかけは、「キーワードで勉強する中国語」というメールマガジンを発想し、それを媒体として学生募集をした(購読者は最多時に3000人以上)。数回発行してから、募集広告を出してすぐに5人が集まった。

メールマガジンを通じて、すでに親近感を持ってくれた学生なので、教室(当時は時間で貸してくる貸しスペースだった)に入ってすぐ私に「先生、私は文法が苦手です。私たちは中国語の文法を習うのではなく、中国語を習いたいです。中国語を話したいのです」と言った。

私自身としては、朗読や暗記ばかりのレッスンは、好きではない。むしろ文法説明に興味がある。「キーワードで勉強する中国語」も、中国語の文法をシステム的に分かり易く説明するという趣旨で発行したものだ。

ところで、教える人にとって、落とし穴がある。「先生にとって面白いところは、大体生徒さんにとって面白くない」という言葉がある本で読んだ後に印象深く残った。理由は簡単である。先生がその分野について多くの知識をもつ人間として疑問に思う点は、白紙状態に近い学生とは違うからだ。

ネイティブの語学先生の場合はなおさらである。日本人の立場に立って、いかに知識をシステム的にインプットするか、いや、むしろ、いかに中国語を話す技能を身につけてもらえるかが、なによりも大切なことだ。

私は、最初やはり文法説明に力を入れていた。できるだけ日本語と比較しながら説明していく。自分の日本語はもちろん上手とは言えない、ところが学生は暖かく見守ってくれて、教えてくれたり、一緒に考えてくれたりした。同年代か、やや若い人がほとんどなので、友達のような雰囲気だった。分からないときは分からないと言い、説明が躓いたら、もう一度やり直す。その当時の学生は勉強を長く続けただけでなく、いまは台湾や大陸で仕事をしている。ここで私が新米の先生に言いたいのは、日本語がまだよくないから、うまく説明できないなどと思わずに、生徒の発想に耳を傾けて、それに沿って説明を試みていこうということだ。

次第に固まった説明の仕方は、まず大原則を説明する、そして皆さんに作文してもらって、そこで疑問を思うところについて解説し、細かいルールをつめていくプロセスである。

この方法のポイントは、勉強者が自ら問題を発見することにあり、少人数なのでだれにも気兼ねなく質問できる。先生が答えることで正しい理解に誘導していく方法である。もともと学生の多くは記憶力よりも理解力が優れている社会人で、それに勉強したい気持ちが一番満ちている時に来ているので、みな積極的に質問する。パズルを解くみたい、頭の体操みたいという声もよく聞こえる。
作文する時も、「去年北京に行きました」と教えたら、「去年上海に行きました」と単純に繰り返す人は極少なく、すぐに「去年上海に旅行に行きました」と言おうとする。そこで授業にいい流れができて、リズムよく展開していく。

このようにして、文法説明と「話す」が一体化し、皆さんも常に頭を活発に使う状態になる。ところが、それだけでは、まだ会話能力が育たない。ある程度文法知識を身につけてから、レッスンの半分の時間を会話に移す。簡単な言葉だけでも、伝えられることがたくさんある。最初は無理だと思い込んでいた学生も話してみたら、意外に話せる!ことを実感できる。

普通の語学教育は、「文法知識」「暗記」「応用」というプロセスに沿っている。それはクラス人数が多い、学校の学生を対象に確立してきたプロセスである。私が目指しているのは、「話す」を手段として、「話せる」をゴールとする方法で、ストレートで無駄がないのではないかと思う。

「話す」ことには重要な大きなパワーが潜んでいる。
まず(1)外国語を「話す」とき、「聞く」よりも10倍、「黙読つまり目で読む」よりも100倍に脳に刺激を与えていると言える。ただし、気をつけるべきなことは、一般的な学校でやっているような、家で作文して教室で朗読するやり方は、「話す」とは違う。それは作文の延長にすぎない。「話す」とは、その場で脳の中で考えていくことを言葉にすること。これによって脳に刺激を与え、言葉のルール(文法)を覚えていくことが可能となるのである。

また(2)人間は失敗から学ぶ動物だ。単語だけ変えて、正解に近いセンテンスを作る作文はよくない理由もそこにある。失敗しないと新しいものを身につけることができない。作文するとき、間違う可能性が大きければ大きい方がいい。おかしいぐらいなことを言って、大笑いを起こすぐらいがいい。リラックス効果があるだけでなく、おかしいぐらいの失敗を生かして、脳に深い印象を与える役割が潜んでいるためだ。

さらに(3)内容をよく考えて、単語を下調べしてから話すのは一番望ましい。忙しいから、それができない方は、話題を提供する程度の短い話でもかまわない。クラスの皆さんが全員順番に質問するので、話はだんだん広がっていく。この「質問応答」こそ、本当の会話である。そもそも中国語を習う目的は、中国人との「質問応答」ではないだろうか。

おまけの効果は、もともと違う業界で働く皆さんはなにかの縁でこの場で知り合ったわけで、このような和やかな雰囲気での和気藹々とした会話を通して、お互いの生活、気持ち、考えを知りあって、睦ましい人間関係を作っていく勉強者も多い。中国語での会話が良いコミュニケーションの道具になった。外国人である私も、日本人の思いやりのある、向上心溢れる、淡々とした生活態度及び友情を知ることができ、貴重なものをたくさんいただいた。また、このような会話能力が中国人との間の良いコミュニケーションの道具にもなるよう、切に願っている。

このように教えてきた中で、ある成績がかなり優秀の学生が、私のやり方を肯定してくれた。彼の言葉を借りれば、「一番知りたいところを教えてくれるのがとてもありがたい」と。「話す」を中心とする教え方法のメリットはまさにそこにあるのだろう。

彼はまた「コーチング」という考え方を教えてくれた。私の理解では、「ティーチング」は、学生に知識を解説し、細かい目標を設定し、真似してもらう方法である。それに対して「コーチング」は、実践の中で、やっている人の問題解決の手助けをする方法である。語学は、教える部分もかなりあるが、「話す」というスキル(技能)を考えると、「コーチング」的な要素を大きく取り入れるべきだ。こういう意味で、語学はスポーツに近いと言えるかもしれない。

もっとも、学生の会話に付き合い、間違いを一つの正解をもって直すのは、どのネイティブの人もできることであって、それしかできない先生は失格だと思う。上級者に対しては、間違いを直すと同時に、その表現と関連する説明も欠かせない。初級者を教える場合、先生の中ではっきりとした文法地図を持たないと、路を案内することができない。いつまでも森の中で迷っている学生を外に連れ出すことができない。

いま、本教室には数名の先生がいる。教える場合、それぞれの個性があるけれども、以上述べてきたものをひとつの方向としている。試行錯誤を経て修正していこうと思うと同時に、このような考えに賛同してくれる先生も歓迎しています。
多くの学生がここで中国語を話せるようになっていくことをたいへん楽しみにしています。
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by nschinese | 2008-03-18 21:48 | 勉強

自分が目指している中国語授業

最近、よくこのことを考えている。
自分が目指してきた、やってきたレッスンの特徴はなんだろう。
一人で教えている時は考える必要がなかった。
しかしいま、新しい先生の個性を生かすのも大切だが、この教室を特徴を保っていくためにも、それを明確なものにしたい。

一言でいうと、学生が「中国語でコミュニケートできる」こと、つまり「話せる」ことでしょう。

まず、見学メールの多くは、「中国語を話せるようになりたい」と書く。
そして、中国語で熱く語り合う皆さんの姿から、自分が一番達成感を味わえる。
その楽しさ、皆さんの仲の良さを見ていると、自分が目指しているものは正しかったと思う。

たとえば日本人は日本語の単語を暗記したこともないのに、なんで単語の量がどんどん増えるのか。
もちろん、読む、聞く、話すという自然なプロセスをたどっている。
聞く効果は読むの十倍とすれば、話す効果は聞く効果の十倍ではないか。

外国語も同じだ。
相手に通じたこと、直してもらうことは、暗記より十倍以上の効果があるのだ。

だから、初心者から会話を取り入れている。
数ヶ月後、もう半分の時間で文法を習い、半分の時間でそれぞれ話題を提供して、質問したら答えたりします。
中級と上級はもちろんのこと、最初から最後まで会話していくのは多いぐらいです。

テーマも決めなく、自分の好きな話をしているうちに、人の個性や生活が現れてくる。
多くのクラスでは、会話を通して、仲のよい、深い人間関係ができた。
コミュニケーションとは、言葉よりもっと深いなにかだと思う。
教師なら、誰も楽しく教えたい。
会話が楽しいのはもちろん、さらに皆さんとの交流で貴重なものが得られる。

教師が会話から楽しさを感じていれば、生徒さんもきっと楽しい。
楽しくやっているから、4、5年以上続いている方も数人いるし、
同じメンバーでの5、6人クラスが1、2年続くのも珍しくない。

試験でいい成績をとった方のうれしい表情からも、満足感を十分に得られる。
その上、中国語で熱く語り合う皆さんの姿から、それ以上にない達成感を感じている。

これは自分の教室として保っていくべき特徴でしょう。
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by nschinese | 2006-11-21 00:47 | 勉強

中国語はかなり合理的な言葉?

中国語は入門しやすい言葉。その理由は中国語の合理性にあると思う。

なにをもって合理性といえるのも考えようによるが、
中国語の合理性は、単語を明確に説明できるところにあると思う。

つまり、単語は漢字の組み合わせによってできたのである。
それぞれの漢字に意味があり、一つの意味に一つの意味を足して、そして適宜に圧縮して単語が作られる。

たとえば、最初の授業にこのようなことを勉強する:

一杯茶    一本书     一个人  (一杯のお茶、一冊の本、一人
两杯茶   两本书    两个人  (二杯のお茶・・・
······
一些茶   一些书    一些人  (何杯かのお茶…

それらの頭に「这(この)」「那(その、あの)」をいれると以下のようになる:

这(一)杯茶   这(一)本书   这(一)个人
这两杯茶   这两本书   这两个人
······
这(一)些茶   这(一)些书   这(一)些人

括弧の中の数字は省略できる。
もともと、这 の発音 zhe と 一 の発音 yi とあわせてzhei と発音になる説もある。

つまり、「这些茶」(これらのお茶)とは、「这些」という「複数代名詞」をつけたからではなく、そもそも、「この何杯かのお茶」という発想から、圧縮してできたのである。

以上は一例に過ぎないが、単語の作り方(語源といってもいいかな)を理解すれば、その合理性も体感できるのであろう。
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by nschinese | 2006-05-15 22:59 | 勉強

君子一言

自分で出したお題ですが、すこし調べると以下のことがわかった。

古代では、『一言既出,驷马难追』、『君子一言,快马一鞭』(出典を省略)という言い方がある。いまはもちろん以上の言い方もできるし、ミックスして『君子一言、驷马难追』とも言う。

一言既出,驷马难追
口から出した言葉は、四頭の馬で引いている馬車でも追いつかない。

君子一言,快马一鞭
君子が一度口に出したら、速く走っている馬を鞭打つように、取り返しがつかない。


「武士に二言なし」だと、女の人には使えないじゃないかという意見もあるが、
「君子一言…」もじつは男言葉だが、中国の女性は颯爽とした雰囲気で言うときもある。

その他

说到做到 / 说话算数 / 一诺千金/ 说一不二

说到做不到/ 说话不算数/ 出尔反尔/ 说话不认帐

日本語は?
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by nschinese | 2006-04-16 14:12 | 勉強

榜上有名

 「榜」bang(3声) とは 公式の知らせです。科挙試験の時代、進士合格の人の名前は、黄色い紙に書かれて壁に貼られ、この黄榜の前で、笑う人もいれば、泣き崩す人もいた。その場面は、发榜であって、合格したら、「榜上有名」です。

 宋代に『過庭録』という本の中に、このような物語があります。孫山という人が挙人に最下位で合格しました。故郷に帰って、息子が科挙試験を受けたあるオヤジに、「我が息子はどうだったの?」と聞かれまして、こう答えました。

 「解名尽处是孙山,贤郎更落孙山外」

最後の一位は、孫山で、お宅の息子は、孫山の後ろに落ちました。
 
 これは、名落孙山 (試験に失敗した)の語源であります。ちなみに、落榜 もいいます。日本語の「落ちた」はここからきたのであろう。



 昨日は、東京大学が「发榜」の日、12時半、この「榜」が貼られて、私が昼ごはん終わって行ったとき、赤門の前に日本共産党の宣伝カーがあって、赤門の下に、「ドラコン桜」の編集部の人が立っており、「合格経験談」を募集していました。

 すこし離れたところで、泣いている娘を慰める母の姿もあります。
 また雨の中、中年の夫婦が電話をしていたのを見かけました。母が涙ながら話していたが、ちょうど前を通ったとき、「受かった」と聞こえました。
 
 可怜天下父母心( 子煩悩は世界共通なのだ)。

 歓声を上げているところに近づくと、自分も思わず気持が高ぶってきました。いくつかサークルの学生が、合格者を囲んで、「バンザイ!」と高声を上げ、胴上げをしてあげました。
 
 挙げる人のリズムに乗って、空中で体を伸ばして、バンザイ!と叫ぶ人を眺めて、きっとだれも「長い暗いトンネルをくぐり通った」という気持だっただろう、と思いました。

 ちなみに、私が中国語教室で習った高校生は、広○大学の医学部に「榜上有名」です。
 
 可喜可贺! おめでたいですね。

   

  
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by nschinese | 2006-03-11 10:16 | 勉強

留学に行くまえにどのぐらい勉強したほうがいいか。

 火曜クラスにいたMYさんが北京からメールを寄せて、「教室の皆さんによろしく」と書いていた。話したら、なんと皆さんがもらっていた!

 今年の2月に、本教室から中国の北京と青島へ留学に行ったのは、二人。MYさんのケースは、これから留学を考えている方には、参考になるかもしれない。

 彼女は、去年1月ごろ、ここでゼロからスタートした。週一回で1年ちょっとだと、複文を含めて基礎文法が終わり、順調の方は、中国語検定の3級に合格できる。中国に行くと、日本語が分かる先生が少ないので、文法の基礎を日本でできたほうがいいと、私が思う。
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by nschinese | 2006-02-28 23:12 | 勉強

発音 耳と口

 あるブログに「日本人は一般に、boとpoの違いが聞き取れない。聞き取れないのですから、発音するのも難しい。」と書いています。

 たしかに、耳と口はつながっています。私は耳の動きを指導することができないが、口の動きを指導することができると思う。したがって、「聞き取れないから、発音できない」場合、発音のレベルで区別できてから、聞き取れると考えてもいいよね。

 b pの違いは、無気音と有気音ですが、私は、日本語の「ババ」、中国語の「爸爸baba」、および「pa」の三つセットを学生に教えている。ババ でしたら、唇がすこし摩擦して、発音がにごる。babaは、一気に唇を開ける。だから、にごらない。paは、「パ」で発音してもいいかな。
(みんなで、ババとパパを発音する。笑えるよね。)

 また、bo po になると、po はブドウを食べてから、皮をぺいするに似ている。bo は、金魚が呼吸するように、と指導している。

 でも、金魚が呼吸するときのイメージは、意外に皆さんと共有している。不思議。
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by nschinese | 2006-02-28 10:40 | 勉強

主語の倒置

  日本語は、長い修飾語の後に主語がきて、その後に短い述語で締めくくる文が多いと思われる。それにたいして、中国語は、主語を短くした方が安定感がある。したがって文の前後位置を変えると、自然な中国語になることができる。
  
  
例a) 赤ちゃんから18歳ぐらいまでを対象にした子供専門写真館はめずらしくない。

(直訳)以婴儿到18岁左右的孩子为对象的儿童专业照相馆也不少。(/也不在少数。/也不罕见。) 
 
(調整後)不少儿童专业照相馆把对象设定为新生婴儿到18岁左右。
 
例b)  さらに上乗せして写真の製本を希望する親も少なくない。
     不少父母希望再加一点钱把照片装订成册。

例c)  チェーン展開する業者もいる。
  一些公司还开了连锁店。

 引用:「一人っ子に愛情注ぐ、子供専門写真館」  朝日新聞『流行前線』
 本教室上級クラスのレッスンでは、以上の文を中国語へ翻訳している。  
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by nschinese | 2006-02-22 13:39 | 勉強