カテゴリ:映画( 9 )

レッドクリッフⅡ

『レッドクリッフ』を見て一番感じたのは、現代色の濃い三国史物語りだという点だ。
監督がつけた現代色を読み取ることで、現代の発想を反省することにもつながる。

今日は、まず諸葛孔明の「借東風」のことについて考えよう。

子供のとき、三国史の物語を読む時に、ひとつ疑問をずっと抱いていた。
諸葛孔明の計算のほとんど理解できるが、扇を振って、風向きを変えた処だけはどうも納得できなかった。
もし風向きが変わらなかったら、どうするの?

高校時代、唐の詩人である杜牧の時を読んだ。
折戟沉沙铁未销, 自将磨洗认前期。 东风不与周郎便, 铜雀春深锁二乔。

後半の意味はこうだ。
もし東風が周瑜に助けなければ、周の妻(小喬)や同じ美人のお姉さん(大喬)は、数十年後、曹操が後に立てた銅雀台にさびしく住んでいたのだろう。

ようは、運がよかったという解釈だった。

古代の人は、この運命のことを、諸葛孔明の神通力に理由を求めたが、私たちの現代人はそれに納得しない。なんらかな理由が見つからないと、気がすまない。

映画の中では、1)天候の変化は諸葛孔明の長い農作業の経験から得た知識だ、また2)小喬の色気で曹操の決断力を鈍らせた、とした。かなり「合理的」に説明した。

合理的な解釈でも、「運命」とする解釈でも、あくまでも解釈にすぎない。どっちが正しいよりも、私たちが事実を受け入れる時に、解釈が果した役割の方がもっと重要です。

小さいときに合理的な理由を求めてきた自分は、いろんな失敗を重ねてきた今、「運命」とする解釈も悪くないと思うようになってきた。

そして、このような不況の世の中、激しい競争の世界で、勝ち負け、物事がうまく運ぶかつまずくかは、頻繁に起こる時代に、とくにうまく行かないとき、いちいち理由を求めると、神経はかなり疲れると思う。「うまく行かなかった」ときに、理由を探るよりも、諦めずに頑張ろうとする現代的な価値観も良いが、運命として受け入れ、この運勢の中で自分のベストを尽くし、次の一手を打ったらどうでしょうか。

「運」というのは、ずっと「良い」のままでもなく、ずっと「悪い」ことが続くこともなく、変わるから「運」と呼ぶからですね。
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by nschinese | 2009-04-15 10:34 | 映画

さいきん観た大陸の映画

中国大陸の映画監督を語るときに、「第5世代」「第6世代」という世代論がよく用いられるが、「第6世代」の以降はもういないと断言する評論家もいる。もちろんのこと、これから中国はもう映画を撮らないという意味ではない。

もともと「第何世代」とは、北京電影学院(電影は映画の意味)で入学、卒業の年によって分けられる世代である。いまは、撮影技術の進歩によって、その大学で研修したり、さらにそれと関係ない人も映画を撮られるようになったので、世代システムが崩れかけた。もちろん、その権威性も一緒に。

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「第5世代」の代表は、ペキンオリンピック開会式の監督にもつとめた張芸謀、活動拠点をアメリカに移した陳凱歌などです。「第6世代」の代表(彼らは、よく「領軍人物」と呼ばれて、やはり戦わないと自分の陣営を獲得できないイメージか)は、賈樟柯 (ジャ・ジャンクー) などで、いま40才前後の人たち。

さいきん観たいくつか中国の映画は、みな「第6世代」監督の作品で、「第5世代」よりはるかに共感しやすかった。残念なことに、こられの映画の多くは中国で上映禁止となっている「自主映画」、「インディペンデント映画」とも言われているものである。

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90年代以降の中国における映画審査制度および審査の実態はじつに面白い研究テーマだと思われる。まず彼らは、監督が作品を持ってくるのを待っている。そして審査する基準も公開していない。結果は「可」と「不可」だけ。面白いことに、多くの監督は最初から作品を審査機構に持っていかない。出来たらすぐに海外の映画祭に出品する。なんとか賞を取って帰国してから、「審査するを無視した」という理由で「上映不可の映画」となる例がかなり多い。

要するに、上映不可能と知りながら、映画を撮っている監督がたくさんいるってことだ。このような現象を支えているのは、いくつかの現実を挙げられる。

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一つは海外からの支持、映画祭での受賞、または後期製作するとき、海外から資金援助をもらえる。

もう一つ看過できない事実は、張芸謀のような監督でも「活きる」という上映禁止の映画がある。つまり、上映禁止だからと言って、文化大革命の時期のように迫害を受けるわけではない。ある監督はこの現象を「地上」から「地下」また「地下」から「地上」へと喩えている。それに上映禁止されている映画は、大学などで自主上映すること、DVDになって販売すること、さらにネットで映画丸ごとアップされることに対して、政府は積極的に干渉していないようだ。

こういった特殊な環境は、けっきょく(商業映画以外の)中国映画の形に強い影響を与えたと考えられる。視聴率よりも自分の感情を表現することに傾く。貧しさ、汚さ、不公平さ、乱暴な行為、習性などを撮りたがる。ただし、あくまでも私の主観だが、張芸謀などは中国の恥ずかしい部分を主観的、断片的、衝撃的な色彩や構図によって表現すると違って、新しい映画はもっと現実世界と距離をもって遠くから冷静に撮るようになった。

長く海外にいると、中国のこともだんだん分からなくなる。ニュース情報を知っていても、家族と友人と話しても、社会全体に対する感覚が鈍くなる。ときどきこういった映画を観たくなる。もちろんのこと、観た後、気持ちが重くなる時が多い。だから、観たあと、ブログを書こうと思っていても、なかなか書けなかった。

今日はもうたくさん書いたので、このへんで終わりにする。気が向いたら、最近みた映画の話を書きます。
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by nschinese | 2008-10-15 23:27 | 映画

イントゥ・ザ・ワイルド

f0011015_22393927.jpg翻訳の納期を守るため、夜2時半まで苦闘したあとに、恵比寿でこの映画を観た。雄大な風景を見たくて、解放感を味わいたかったからだ。

『イントゥ・ザ・ワイルド』は、実話に基づいた映画。
1990年に卒業したアメリカの大学生が両親へ通告なしに、しかも、全部の貯金を寄付し、短期間のアルバイトなどでの過酷な旅に出た。
放浪の果て、1992年にアラスカへ向かう途中の荒野で死亡した10数年後に、この話が映画になった。

「自分探し」と呼ばれると、やや短絡に思われる。旅費を持たずに、無謀とも言えるこの行動に、両親への、社会への反抗が色濃く映し出されている。主人公は、豊かな物質、金銭、パワー、コントロール、つまり近代社会から自由になりたかった。

「解放」を主題とする映画はいくらでもある。しかし、その殆どは熱狂的な音楽、薬、セックス、暴力の道へ向かう。それとは違って、放浪の道でも道徳的に、人と暖かく付き合っていた彼の物語を観て、後味が非常に穏やかなものだった。
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by nschinese | 2008-10-10 00:39 | 映画

山のあなた 徳市の恋

昨日、「山のあなた 徳市の恋」という映画をみてきました。

舞台は山奥の温泉街、話はマッサージと淡い恋、
時代はおそらく大正、とにかく癒してくれる映画です。

なによりも、同石井克人監督の「茶の味」は、ぼくの一押しです。
これは見逃せない!

この映画には、どこか孤独の旅人のさみしい雰囲気が漂っています。
でも、ぼくは、その孤独を癒してくれる温泉旅館に心が惹かれる。
いや、心(あたま?)よりも体かもしれません。

お客さんの部屋と部屋の間は、廊下はあるものの、壁がなく、
ふすまで区切っている。
たたみの上でごろごろして昼寝する姿は青い山と一体になる。

自分は、貧乏性なので、昔から旅行するときは、宿にはこだわりがなく、
というより関心すらさほどなかった。
それほど汚くなければ、静かに寝られるなら十分、
とにかく外に出て風景や名所を見たい。
もったいないことに、温泉のありがたさもよくわかりませんでした。

よく考えると、中国では、立派なホテルが文字通り竹の子のように出てきたが、
昔ながらの味のある民宿はなぜかありません。
中国人は昔から宿に対して感心が薄かったかもしれません。

さてさて、今日は大学の期末試験問題の用意をしなければならない。

試験来たりなば、夏休み遠からじ~~

夏休みまで、お互いに頑張りましょう!
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by nschinese | 2008-06-26 10:32 | 映画

似水年華

f0011015_10364961.jpg上海近くにある烏鎮(wūzhèn)は、日帰りツアーができたため、賑やかになってきたが、数年前は静かなところだった。

もともと上海一帯は、川が町の中を流れて、豊かな水資源に恵まれたが、上海が都市化を進めた中で、たくさんの川を埋めた。いまは道の名前としていくつか残っている。

川というのは、流れていくもの、去っていくものである。
ぼーとしていても、時間だけが去っていく。

だから、孔子が川辺で嘆いた。「子在川上曰,逝者如斯夫,不舎昼夜」(過ぎ去っていくものはこれと同じだ。昼も夜もいつまでも流れていく」。

だから「川の流れのように ゆるやかにいくつも 時代は過ぎて」なのだ。
(これは、私の発明でない。カラオケの時に、美空ひばりの歌が流れる時に、「この歌のイメージは論語からきたのよ」と日本人の先生が教えてくれた。本当かな?!)

年華とは「時間」「時代」のことで。「花様年華」は、「花のような時代」で、それは一番良い時期という意味もあるし、良い時代だったというニュアンスもある。

「似水年華」は、「川のように流れていく時代」であって、「なにもしないことにもったいない」意味もあるし、また流れているが、いつまでもそこらへんにある川の意味もある。

数十年、この町で暮してきたお爺ちゃんにとっても、北京から戻ってきた大学院生にとっても、台湾(賑やかな世界)からやってきてデザイナーにとっても、烏鎮という町は、まさにこのようなイメージの場所だろう

今週から、中級クラスでこのドラマをテキストとして勉強し始めた。

日中通信社(http://www.long-net.com/sishui/)がDVD付き、さらに中日の字幕を全部載せた雑誌を発売した。本当に頑張っていますね。楽しみにしています。
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by nschinese | 2008-03-28 11:04 | 映画

洋の東西を問わず

f0011015_104178.jpg中華系の監督は西洋人の役者を使って、映画作りをするのがただ一時の流行りか、それとも、ある種の欲求の現われか。

ウォン・カーウァイ監督の『マイ・ブルーベリー・ナイツ』を観ると、世界に向かって何かを訴えたい気持ちを強く感じられる。
それは、中華ワールドを生きてきた、中華という文化的な要素の中から生まれてきた物語り、感情の仕方よりも、もっと普遍的な哲学のようなもの。

f0011015_9524372.jpgこの映画を観ると、どうしても『花様年華』を思い出す。「争うのが苦手」な人が、まっすぐに道路を渡ろうとしない、遠回りしてまう。過ぎ去っていく現実から気持ちを断つ事ができない。形のないものをもらおうとする。それに形のないものだけ心に残る。

オフィシャルサイト http://www.blueberry-movie.com/ を観てもわかるように、女の主人公が突然消えていく。数ヶ月に電話でもなく、メールでもなく、葉書が男の主人公の店にとどく。この物語の形は村上春樹の小説の中で頻繁に消えていく人とはどうしても被ってしまう。

ウォン・カーウァイ監督はじつは春樹ワールドの一ファンで、『恋する惑星』の中国語タイトルは『重慶森林』で、つまり「重慶の森」だ。

f0011015_9112554.jpgちなみに、『マイ・ブルーベリー・ナイツ』の中国語タイトルは《蓝莓之夜》。この「私の」が省略されたところは、私的には納得できない。なぜかというと、彼女の一人のために、彼が1年間ずっと売れないブルーベリーを作ったなのに。
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by nschinese | 2008-03-28 10:22 | 映画

初恋

皆さんと会うのも楽しみだが、夏休みは今日で終わりなのはすこし憂うつだ。

どうせまだ仕事ムードに入らない、午前中「初恋」という映画を観てきたついでに、本も買っちゃった。
照らし合わせると、物語は一部切捨てられ、ベッドシーンに替わった、これも60年代権力と対峙する自由を求める若い人の周囲の、退廃とした雰囲気をかもし出すには必要なのかもしれない。

作者が主人公と同じ「みすず」という名前のほかにすべてを隠しているところは興味深い。
恋愛よりも、事件よりも、彼女(彼?)の「青春」を書き残した小説だなと思う。

人によって、青春は一人のことでもあるが、仲間とのことでもある。
後者の形で青春を記憶する人が多いのではないか。

仲間との騒ぎ、気持ちの分かち合いは、まるで宴のようだ。
中国語では「天下没有不散的宴席」という。つまり、宴はいつか終わりがくる。
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by nschinese | 2006-08-17 23:27 | 映画

ダ・ヴィンチ・コード

「ダ・ヴィンチ・コード」の評価は、いまいちのようだ。
「感動がない」、「面白さが足りない」、「小説を読むときの勝手の設定を壊した」などなど。

ぼくが小説を読んだことがないせいかもしれないが、
面白かった。見終わってから、妙にすっきりした気分だった。

あの可愛い主演の女優さんがインタビューで、
「本を読むのが面倒な人には、いいじゃない?」とこの映画を評価していた。
自分のことが言われたみたいだ。

さて、すっきりした理由は、

1、まず、ゲームをやった後の気分みたい。
 登場人物がそれぞれの歴史観を持っているから、それを想像しながら、関連付けながら、それはゲーム気分だ。

2、つぎに、作者のメッセージ性がはっきりしていたこと。

 登場人物がそれぞれの歴史観を持っているし、それにしたがって行動する。
 また歴史解釈の違いによって、戦争があり、流血があった。
 その歴史解釈を評価する基準は、真実よりも、平和への貢献度だと、私はこの映画をメッセージ性を理解している。

 東アジアには、宗教戦争がほとんど勃発しなかったが、自国文化に対する勝手の解釈によって喧嘩したりするのも、昔のことだけではない。
 
 ナショナリズム的なメッセージが強い映画よりも、この映画の作者が頭よくて、見てすっきりする。

 本には、こういったメッセージがあるかどうかは別だし、ただのゲームかもしれないが、見てすっきりした気分になって、とにかくよかった。

 感動と面白さがなくても、べつにいいじゃないか。
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by nschinese | 2006-05-29 12:50 | 映画

風花(かざばな)

私の中、映画を褒める基準の一つは、「見た後、仕事したくないなあ」。
たぶん、その基準で浅野忠信が出演する映画がすき、とくに『茶の味』が大好きだ。
茶の味


でも、昨日観た小泉今日子さんと共演する『風花』には、浅野忠信は似合わない文部省の役人の役を演じた。舞台は北海道。
風花


北海道(自然?)でリフレッシュして東京(仕事!)に帰ってくるそもそも「労働が目的」という発想ではないところが良いが、その後はどうなるの?といったところに映画が終わった。

仕事をしないわけにはいけない。だから、「休んでから頑張ろう」の映画よりも、「仕事をしたくない」映画の方が、バランスをとれるかなと、映画を見ながら思った。
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by nschinese | 2006-05-22 10:17 | 映画