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字幕あらさがし

 場所は「東京都写真美術館」、ビルに入ったら、女性二人がすぐに立ち上がって案内してくれた。
 さすがに「ワォ アイ ニーを見たい」と口から言えなかった。
 「あの、今日の映画を見たいですが」と私が。
 「あ、ワォ アイ ニーですね。こちらに……」。
 中国語と違うイントネーションでまじめに言われて、笑いたくなった。(失礼でした。)

 映画は大変よかった。
 というか、最初から暗い、重い、喧嘩ばかり、映画館に人が少ないと知っているし、原作王朔の小説はよく読んでいたから、見たかった。

 私の映画を見るクセは、この映画はなにを言いたかったのをみたい。
 中国映画って、都市生活の話が元々少ないし、自分の生活をどう考えているメッセージが含まれている映画がもっと少ない。だから、この映画をとても楽しみにしている。

 なんでずっと喧嘩するの、外国人にはわかりにくい映画だと思う。
 でも、たくさんのことを考えさせられた。

 
 今回は、まじめに字幕をよく読んだ。ミスは、10数個発見した。それに個致命的なミス。

 たとえば、結婚してからはじめての喧嘩シーンで、最初は、男の人が女の人にべたべたしないでと言った。
 その後、ちょっとのことで女の人がキレッちゃって、人の前で大声を出した。
 家に帰ってから、男の人が、「人の前で 耍性子 するのが大嫌い」と言ったが。
 この「耍性子」の意味は、「わがまま」、「キレる」だけど、字幕は、「人の前でべたべたするのが大嫌い」になった。
 その後、「私は警察に捕まえられるところだった」と男の人が言った。つまりあなたと喧嘩したせいで。
 ところが字幕には、「私は痴漢で警察に捕まえられるところだった」になった。つまりあなたとべたべたするから。

 なぜそれが致命的だというと、じつは、女の人がわがまま(それも理由があるけどね)で、男が人の前でメンツがつぶられちゃったので、喧嘩になったが。字幕だけ見てると、男の人が結婚してから、愛情表現がいやだということになった。

 だから、チラシには、「夫はその思いを裏切るかのように冷めた態度で、やがて「愛してる」とさえも言わなくなる」と書いた。

 その後も、似ているミスがある。
 離婚しようと言ったら、女の人が「私も努力したのよ、映画を見に行くように、コンサートにいくように」。男性は「そういうことじゃないよ」。
 そして女の人が「じゃ、「思想上」足りない?」。男の人は、「それは十分すぎた」と答えた。「思想上」って翻訳しにくいよね。
 ここで字幕には「思いやりが足りない」と書いた。じつは、「コミュニケーションが足りない?」の方がいいと思う。
 この映画の主題はここにある。男の人から見れば、この思想上の要求(つまり、男の人がなにを考えているのを知りたい、コントロールしたい、表現して欲しいなどなど)が十分すぎた、しつこかった。

 結局、字幕は一種の思い込みの下で作られたような気がする。

 予算のこともあるだろが、日本人が翻訳してから、中国人に一遍映画を見てもらえば、すぐわかる。
 一日で終わるので、数万円で済むはずのにね。

 ふだんは、字幕どうでもいいと思っていたが、今回は喧嘩のメインの映画で、致命的なミスがあると、喧嘩の論理がわからなくなる。
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by nschinese | 2006-03-30 15:15 | 翻訳

できあがった  講談社の日中辞典

昨日、家に帰って、玄関のところに講談社から送られてきた本が置いてあった。
『日中辞典』(相原茂先生編集)、やっときた!  
年始に出版社から連絡あって、予告はあったが、思ったよりも早かった。

私は、前半の例文翻訳仕事に参加した。その後は他の仕事が進められているとちょこっと聞いた。

辞書を読むと、「翻訳ルール」、「シソーラス」、「単語帳」などの部分が充実していることに感心した。
とくに「シソーラス」の部分、たとえば、「気持ち」という日本語で引くともちろんたくさん訳文があるが、この辞書は、さらに10の中国語訳をぎゃくに日本語に翻訳して、ニュアンスの違いを明らかにする。

われわれが授業をする時にやっていることと同じだ。日本人が辞書から引いた中国語は、この場合に使っていいかどうか、ほかの中国語とどう違うかを説明するのが、われわれの仕事である。

もともと中国語を教える人が中心に編集したものなので、翻訳者よりも学習者向けの辞書だ。自分が教えるときも、大いに参考できると期待している。

辞書を引くのが面倒と思う方にも、うれしいことがある。CD-ROMがついているので、パソコンで電子辞書と同じように引ける。ただし音声がない。

ますます広告のようになってきたが、ここまでにしよう。定価は7000円でけっして安くはないが、個人レッスンの相場は一回5000円を考えると、どうかな。

教室関係者は必要でしたら、ご一報ください。
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by nschinese | 2006-03-28 09:41 | できごと

映画界のグローバル

中米合作、ジェット・リー(李連傑)が主演のアクション映画『SPIRIT』の宣伝がよく見かける。中村獅童も日本人武術家を出演している。日本の市場を狙っているせいか、PRの中、中村獅童がジェット・リーを倒す場面も目立つ。

もともとは、中国の武術家霍元甲(フォ・ユァンジア)の伝記映画。彼が中国のフライドのために欧米や日本人の格闘家に立ち向かい、最後は日本人に毒殺されたことは、香港のドラマを通じて、中国で広く知られる。

今回は?もしかして、中村獅童の役は悪役?しかし、堂々としている宣伝を見ると、そうには思えない。

まだ見ていないが、昨日見た学生から、「中村役の格闘家と毒殺する日本人は無関係だった」と聞いた。なるほど!

いま、映画界で日中の合作の勢いはすごい。両方の市場を狙っている経済的な打算は明らかだ。それで、この映画界のグローバル化は、中身の解釈まで影響した。

ナショナリズムを超えて、プロとしてのプライドを持って闘う人に感動する。けっきょく、経済の一体化は、平和へ導く役割も果しているようだ。
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by nschinese | 2006-03-22 08:40 | できごと

推敲するのは、だれのため?

 言葉をめしの種にするぼくですが、妻(日本人)に理屈っぽいと言われています。言葉の違いとか、どうでもいいことなのに理屈をこねるそうです。(中国語の表現は、钻牛角尖。牛の角の先っぽに入り込む。)言われると、反省します。

 たしかに言葉にこだわると、文字通りに理屈っぽいの人になります。

 たとえば、映画の字幕を見ると、だいたい文句言いたくなります。とくに中国語の四字熟語とかをうまく訳せるのが珍しくないのです。しょうがないといえば、しょうがないです。ただでさえ、中国語を日本語に訳すと字数が長くなるし、早く口にしゃべられると、字幕に収めきれないのは当たり前のことです。どこかで妥協しなければなりません。
 
 それに、両方の言葉をわかって、字幕をチェックする人って、滅多にないし、そういうチェックする人は、暇人か、あら捜しの気持に違いないのです。画面、音楽より、字幕ってどうでもいいことじゃありませんか。どうでもいいことに理屈をこねるのは、理屈っぽいです。

 しかし、それにしても、表現、語順に推敲し、吟味することをやめられません。このやめられないことの意味はどこにありますか? そのような自覚がないと、推敲の境界線をどこに置くかを常に迷うのではありませんか。

 まず、文章の意味、話の理屈、話の持ち運び方を正確に訳しなければなりません。平凡な訳でもいいから、それをしっかりと掴まなければなりません。その上、いい表現を探します。

 いい表現を探すことは、頼む側のためでもあるが、半分は自分のためです。

 たとえば、大工さんが物を作るとき、自分なりのこだわりを持っています。この角は、四角じゃだめで曲線でなければならない、そのこだわりを理解できるお客だって、多くはないですよね。みんなは全体的なイメージしかみません。
 
 また料理屋さんで、料理を盛るときも同じです。おそらくお客以上に盛り方に気を遣うのでしょう。同じ料理の仕事をする客、または主婦の客は感心するかもしれません。普通客は、あ、きれいだねと一言で終わります。

 一つの角、海老の置く場所、こういった細かいところを人に褒めてもらうのを期待してはいけません。それよりも、半分は自分の遊びだと意識した方がよいかもしれません。

 所詮半分は、自分の遊びだから、この遊びによって文章の理屈を害してもいけません。危ない遊びよりも、平凡の訳がいい場合もあります。过犹不及(過ぎたるはなお及ばざるがごとし) なんでもやりすぎるとよくないですね。

 教えることからも、似ている心得がありませす。どこかの本で読んだのを忘れましたが、「先生が面白がるところは、だいたい学生にとって退屈なところです」っていう名言があります。自分の座右の銘にしたいですね。

 業界が違っても、どこも同じでしょう。

 最後、妻の名誉のために言いますが、わからない日本語を聞くときに、必ず教えてもらえます。この間、翻訳に江戸時代の候文が何ヶ所出ました。なんと岳父(妻の父)まで一緒に調べてくれました。最後、彼らにどうしてもわからない箇所があって、じつは中国語の地名(古称)でした。お願いする前に言っとけばよかったのに、申し訳なかったのです。
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by nschinese | 2006-03-14 12:02 | 翻訳

榜上有名

 「榜」bang(3声) とは 公式の知らせです。科挙試験の時代、進士合格の人の名前は、黄色い紙に書かれて壁に貼られ、この黄榜の前で、笑う人もいれば、泣き崩す人もいた。その場面は、发榜であって、合格したら、「榜上有名」です。

 宋代に『過庭録』という本の中に、このような物語があります。孫山という人が挙人に最下位で合格しました。故郷に帰って、息子が科挙試験を受けたあるオヤジに、「我が息子はどうだったの?」と聞かれまして、こう答えました。

 「解名尽处是孙山,贤郎更落孙山外」

最後の一位は、孫山で、お宅の息子は、孫山の後ろに落ちました。
 
 これは、名落孙山 (試験に失敗した)の語源であります。ちなみに、落榜 もいいます。日本語の「落ちた」はここからきたのであろう。



 昨日は、東京大学が「发榜」の日、12時半、この「榜」が貼られて、私が昼ごはん終わって行ったとき、赤門の前に日本共産党の宣伝カーがあって、赤門の下に、「ドラコン桜」の編集部の人が立っており、「合格経験談」を募集していました。

 すこし離れたところで、泣いている娘を慰める母の姿もあります。
 また雨の中、中年の夫婦が電話をしていたのを見かけました。母が涙ながら話していたが、ちょうど前を通ったとき、「受かった」と聞こえました。
 
 可怜天下父母心( 子煩悩は世界共通なのだ)。

 歓声を上げているところに近づくと、自分も思わず気持が高ぶってきました。いくつかサークルの学生が、合格者を囲んで、「バンザイ!」と高声を上げ、胴上げをしてあげました。
 
 挙げる人のリズムに乗って、空中で体を伸ばして、バンザイ!と叫ぶ人を眺めて、きっとだれも「長い暗いトンネルをくぐり通った」という気持だっただろう、と思いました。

 ちなみに、私が中国語教室で習った高校生は、広○大学の医学部に「榜上有名」です。
 
 可喜可贺! おめでたいですね。

   

  
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by nschinese | 2006-03-11 10:16 | 勉強