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但願人長久

昼間仕事をしながら、フェイ・ウォンの歌を聞いている。その中、『但願人長久』というのがあり、歌詞は蘇軾の詞だった。

蘇軾といえば、漢詩に詳しくない方もじつは彼の名前を知っているはず。彼は宋代の詩人で号は「東坂」( トンポー)で、中華料理屋に行くと、 「トンポーロー」は彼の物語からつけた名前だった。

いきなりお肉の話になり、品が下がってしまったが、その詞は中国では津々浦々に知れ渡るもので、原文と訳文 もネットで見られる。特に最後の部分に深いものがある。

人有悲歡離合、月有陰晴圓缺、此事古难全
但願人長久、千里共嬋娟

人には悲しみと歓び、出会いと別れがあり、月には晴れと曇り、満ち欠けがある、古き世から完全とは難しいもの
ただお互いが長く久しきこと、今宵君も同じ月を見ていることを願うばかりだ

多感な若かった時、よくこの詩を引いて、不遇、失敗、悲しいことにあった人、失恋した友人に贈ったりする。最近自分は外国にいるせいか、「千里」という言葉に非常に引っかかって、遠く遠く離れても同じ月(嬋娟とは月の上で舞う女性のこと)を見上げられるイメージって、とてもきれいではないか。

世の中、喜びもあれば、叶えないものもたくさんあり、ともかく皆さんが健康でよかったという心情になったのも、自分が年が取った印だろう。

これとも関係あるが、土曜日に送別会があった。来月、北京赴任にいくHKさんのため。彼も何回も「2000年ここで中国語を勉強始めて…」と六年の歳月を振り返る。六年前といえば、自分はメールマガジンを出して学生募集に一生懸命にした始めのころだった。彼はそれを読んで教室に来て、その後、埼玉に引越しした後も続けてくれた。

これから奥さんと子供を連れて、新しい生活を始めるには不安もあるだろうか、本当に皆さんが健康で、子供も異国を経験して、複雑なことに対して理解のある子供に成長してもらいたい。

送別会は遅くまで飲んだ。飲むからまた新しい生まれるのも不思議なことだ。

その一つは、GMBさんからの武術の話に引かれて、昨日(日)子供といっしょに彼が通っている武術会の発表会を観にいった。武漢からやってきた先生はいつもニコニコしていたが、自分の番になるときだけ、凛とした表情を顔に浮かばせた。先生の関係かもしれないが、生徒は武術をやるにはいくぶんも文弱にみえるが、彼らによると、中国の文化を知りたいのが目的だった。先生も、中国の武術を広めるために来日、教室を始めたと言っている。
それにしても、3、4年で生徒を百人近く抱えるのに実現させたのは商売繁盛だ。

もう一つは、NTさんは日本語教師資格を獲得したから、ボランティアで教えてみたいという話を聞いた。それなら、自分が参加している東大のメーリングリストに聞いてみようか。日曜日、その話を書いたら、2垳の返事が来ている。ボランティアでなにかをするのは本当にすばらしいこと。

人間が商売というクールな損得打算を越えて、それとはべつの中でつながっていく能力があるから、世の中はすばらしいだと思う。でも、この世の中に生きるために、損得をわきまえずにいかないし、自分まわりの人ばかり得するのも無理な話、ならば、「但願人長久、千里共嬋娟」という気持ちだけでもいいかなと思って、長く書いた。
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by nschinese | 2006-08-28 13:00 | できごと

初恋

皆さんと会うのも楽しみだが、夏休みは今日で終わりなのはすこし憂うつだ。

どうせまだ仕事ムードに入らない、午前中「初恋」という映画を観てきたついでに、本も買っちゃった。
照らし合わせると、物語は一部切捨てられ、ベッドシーンに替わった、これも60年代権力と対峙する自由を求める若い人の周囲の、退廃とした雰囲気をかもし出すには必要なのかもしれない。

作者が主人公と同じ「みすず」という名前のほかにすべてを隠しているところは興味深い。
恋愛よりも、事件よりも、彼女(彼?)の「青春」を書き残した小説だなと思う。

人によって、青春は一人のことでもあるが、仲間とのことでもある。
後者の形で青春を記憶する人が多いのではないか。

仲間との騒ぎ、気持ちの分かち合いは、まるで宴のようだ。
中国語では「天下没有不散的宴席」という。つまり、宴はいつか終わりがくる。
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by nschinese | 2006-08-17 23:27 | 映画

夏休みの二

昨日は夏休みの意外な第二弾。

水族館の予定だったが、子供は体調が良くないので、ポケモン映画に変更。自分はべつの映画を見ればいいと思っていたが、着いたら、ネットで調べておけばよかったのにと後悔しました。つまらない映画を見るよりも、散策して来ればと妻に勧められて、できるだけ遠く行こうと思って、秩父を選びました。

秩父に行ってそばを食べて帰ってくるという気持ちでガラガラ空いてた電車に乗りました。飯能で乗り換える時から席が横向きになり、中国の列車には似ているが、向こうの席にはだれもいません。通りの向こう側に若い女性が化粧したり、メールを打ったりしていました。

山の中に散在する農家、渓谷でつりを楽しむ家族らしき人々、それに美しい駅名を眺めながら、先月大学時代の友人と富士山にいったときのことを思い出しました。日本語がわからない彼は駅名に感心し、日本料理を食べると必ず献立を書く紙を丁寧に折って手帳にはさんでもって帰ります。アメリカに住んでいる彼は、日本の風景を見て中国古代を連想し続けます。日本の美しさと古い中国への郷愁が彼の胸中で往来していました。

秩父駅で簡単な地図を取って、古くて錆びた建物におじいちゃん、おばあちゃんだけ住んでいるのだろう、あのりっぱなビルを建てた人はどんな商売をしているかなと想像しながら街を歩き、だれも会わないのも寂しいです。明治○○創刊東京新聞と書いてある新聞屋も、シャッターに孫悟空など西遊記の四人を大きく描いている家も面白かった。

歩いているうちに山に近づきました。麓に寺があり、お墓が並べている。吸われたように道路を渡して、墓のそばを通ったら、電車の隣に座っている女の子がお婆ちゃん、家族たちと一緒に墓を洗っているのではないか。一瞬、どこかで見たことがあると錯覚したが、おそらく『珈琲時光』の中にあった「墓参り」のシーンと似ているせいでしょう。

一つ気づいたのは、日本のお墓は一家族で一つですが、中国は夫婦一つで経済的ではありません。しかし土葬の時代で一家族で一つのは無理だと思います。

山に入るとまず観音様を祭る寺があり、出たら赤い鳥居がたくさんあって、山上のお稲荷神社へ導いてくれました。神社にはなにもなかったが、路の交差点に「ふるさとの歩道」という札が立っています。もうちょっと歩こうと気軽に登る道を選びました。

そのまま山に入ってしまいました。小学5年生のとき、一年間田舎で暮していた頃、忍者のように壁を走れる友達に連れられて、よく探検に山に入い、道にならないところを歩いたり、巨石をのぼったりしたにもかかわらず、怖いところが目の前にあると臆病者です。道は右は崖で一人しか歩けない、地面が濡れたところはたしかに怖かったのです。

一人も会わずに40分ぐらい歩いたら、やっと建物が見えてきました。人間が住んでいるところは、糞の匂いが漂う気がします。乾いた空気の中、その匂いが嫌なものではなく、凄く安心感を与えてくれるし、べつに故郷でもないのに、「ふるさとの歩道」という名前に非常に納得です。

お腹が空いているし、やっと「酒、そば」の看板を見かけて、合掌作りのような高い屋根の下に二匹の木彫りのサルが遊んでいる。ぜひここで食べたいと思って、閉じたドアのガラスを越して中を見たら、おじいさんがいすの上に寝ています。昼寝をじゃましたやつに美味しいものを出すわけがないだろう、もっと我慢しよう。

こうやって一時間近く歩いてやっと「秩父○○」の看板が見えて、さきほどの麓にあった廃棄された工場の煙突が見えて安心しました。「あげまんじゅう屋」の暖簾をくぐって、どら焼き、「お遍路さん」という名のお菓子を買って、お店で食べました。優しい奥さんがお茶を出してくれて、映画を見るつもりなのに山に入ってしまった話も付き合ってくれました。「帰りには二時間もかかるでしょう。奥さんは心配しているでしょう」。

それにしても、秩父駅に向かう途中、少林寺に寄り道をしました。寺に建てられている「秩父事件」を説明する看板をよんでわかったのは、そこには自由民権運動の時に起きた秩父蜂起に死んだ警察官二つが埋葬されて、山県有朋の表彰文がありました。

現地の祭りもあるせいか、何人かが支度していたようです。現在われわれはお寺や神社に行くと癒されると感じるが、むかしここは地域コミュニティの中心の一つでもあります。ここで先祖の墓参りをし、祭りを楽しみ、自分の生活や世の中のことをみんなが話し合ったのでしょう。

彼らの中、蜂起を起こしてなくなった子孫もいるはずです。彼らは警察官だけ大きく作られた碑文をどう見ていたのでしょう。慰霊という観点だけから見るみな同じですが、慰霊には表彰の意味が込められるのも事実であって、反対立場に立つ人から違う見方が出るのも不思議ではないでしょう。

駅前でやっとそばを食べられて、梅や地酒を買ってまたガラガラの電車に乗って帰りました。いい汗を流した後、たくさんのことが頭の中で巡らせた後、体や頭の中にたまったごみが風に吹っ飛ばされたように爽快でした。
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by nschinese | 2006-08-14 18:53 | できごと

夏休みの一

ブログを書くのは本当に久しぶりです。書く時間を取れなかったのは言い訳のようだが、半分以上は事実です。

やっと一週間の夏休みをもらいました。そして1ヶ月前に決められたスケジュール通りに「箱根」に出発。夏休みと言っても、体を休むというわけにもいかない。箱根だからべつにワクワクすることもなく、とにかく妻の両親の年齢を考えていつもの生活場所を離れて、別の場所で一泊する気分転換の感じの小旅行です。

行くときも娘が車酔いのせいで大騒ぎ、我が家族だけ途中下車、電車で行くことにした。運がよく電車は空いて、車窓の外に緑が多くなるにつれ、心が落ち着くのは不思議に思います。そういえば、出発する前、どこにでも行っていいならば、いったい目的地はどこ?と自問自答したとき、心の中に浮かんできたのは、「お寺」でした。お寺でなにもしなく周囲の緑をぼっとみることだけ望んでいました。やはり疲れちゃったんだ、電車の中で改めて思いました。

泊まったのは大学の休養所。民宿の値段で安上がりのが最大なポイントと思っていたが、部屋に入ってみたら意外に広くて、山腹に建てられたので一面の窓ガラスから山が目に入り、泉の音がときどき雨に勘違いします。貸切状態の上、24時間温泉が使えます。

去年、教室で皆さんに温泉が本当にすき?と聞いたが、意外に「べつに」と答える方も何人いました。ぼくも「べつに」派ですが、わざわざ温泉研究の本を読んでみました。(笑)今回気兼ねなく一人で山を見ながら温泉に浸かられたのは、たしかに作者が書いた「癒される」気がしていました。でもまたいつものように、皆さんと一緒に入ると癒されるかどうかは定かではないように思います。この点では、自分は日本人でないことはきわめて大きい、それにどんな成分を含有するにもまったく興味を持ていません。でも今回はとにかく良かった、体も気持ちも軽くなりました。

次の日、ガラス工芸でも子供にやらせようと計画していたが、満員だったせいで、比較的に人気のないドライフラワー工芸に変えたが、それで一石二鳥、夏休みの宿題も一つ終わらせました。午後はユネッサンという水着温泉、プールに行きましたが、お茶風呂、コーヒー風呂などは復習になりますので、衝撃はそれほどなかったし、プールもイモ洗い状態でした。

それで夏休みの前半が終わりました。
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by nschinese | 2006-08-14 17:19 | できごと