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自分が目指している中国語授業

最近、よくこのことを考えている。
自分が目指してきた、やってきたレッスンの特徴はなんだろう。
一人で教えている時は考える必要がなかった。
しかしいま、新しい先生の個性を生かすのも大切だが、この教室を特徴を保っていくためにも、それを明確なものにしたい。

一言でいうと、学生が「中国語でコミュニケートできる」こと、つまり「話せる」ことでしょう。

まず、見学メールの多くは、「中国語を話せるようになりたい」と書く。
そして、中国語で熱く語り合う皆さんの姿から、自分が一番達成感を味わえる。
その楽しさ、皆さんの仲の良さを見ていると、自分が目指しているものは正しかったと思う。

たとえば日本人は日本語の単語を暗記したこともないのに、なんで単語の量がどんどん増えるのか。
もちろん、読む、聞く、話すという自然なプロセスをたどっている。
聞く効果は読むの十倍とすれば、話す効果は聞く効果の十倍ではないか。

外国語も同じだ。
相手に通じたこと、直してもらうことは、暗記より十倍以上の効果があるのだ。

だから、初心者から会話を取り入れている。
数ヶ月後、もう半分の時間で文法を習い、半分の時間でそれぞれ話題を提供して、質問したら答えたりします。
中級と上級はもちろんのこと、最初から最後まで会話していくのは多いぐらいです。

テーマも決めなく、自分の好きな話をしているうちに、人の個性や生活が現れてくる。
多くのクラスでは、会話を通して、仲のよい、深い人間関係ができた。
コミュニケーションとは、言葉よりもっと深いなにかだと思う。
教師なら、誰も楽しく教えたい。
会話が楽しいのはもちろん、さらに皆さんとの交流で貴重なものが得られる。

教師が会話から楽しさを感じていれば、生徒さんもきっと楽しい。
楽しくやっているから、4、5年以上続いている方も数人いるし、
同じメンバーでの5、6人クラスが1、2年続くのも珍しくない。

試験でいい成績をとった方のうれしい表情からも、満足感を十分に得られる。
その上、中国語で熱く語り合う皆さんの姿から、それ以上にない達成感を感じている。

これは自分の教室として保っていくべき特徴でしょう。
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by nschinese | 2006-11-21 00:47 | 勉強

韓国語教室がスタート!

中野坂上から北へ行くと、東中野という駅の周辺には韓国料理屋がかなり多い。

昨日、散歩のついでに、中央線の線路沿いにある店に入った。看板に「元祖韓国家庭料理」と書いてあり、店の壁には記事がたくさん貼ってある。「元祖」というのは、ほんとらしい。

困ったことは、メニューに絵がなかったこと。「元祖」だから、お客さんは韓国料理通ばかりだから、絵はいらないのかな。ぼくみたいな人にはちょっと不便。

ユッケジャンというのを注文したら、想像したものとはまったく違う。ユッケって生の牛肉じゃなかった?浅草ではじめて生の牛肉を食べたときに、かなり感動した。

その日の午後に知り合いの金さんが教室に来た。彼女は、四谷にある語学学校で4、5年間ハングルを教えてきた。昼間の時間を利用して、韓国語の講座をこの教室でもしてくれる。

彼女の学歴、キャリア、人に与える印象は、申し分なし。このような小さな教室ではもったいないぐらいだ。問題はHPに韓国語コースの知らせを乗せても、ヒットするまでは時間かかりそうなことだ。

お友達に宣伝してくださいね。
合言葉は、「中野坂上で学ぶ韓国語!」(笑)
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by nschinese | 2006-11-17 22:57 | 教室

すみません、ありがとう。

 人になにかをうやってもらうとき、あなたは「すみません」と「ありがとう」のどちらで応えるのですか。もちろん、「すみません、ありがとうございます」派もあるのでしょう。

 初心者レッスンで、このような話が話題に上った。中国人の多くが日本語で話しても、「ありがとう」派で、日本人が中国に行くと、むしろ「対不起」を濫用し、「謝謝」のほうがいいよと、よく直されるそうだ。

 そのクラスには日本語が上手なドイツ人がいる。彼の見解はこうである。ドイツ人の感覚は、中国人と同じだ。でも、日本語が達者の彼にお茶を注いであげるとき、かえってくる言葉は、「すみません」または中国語の「謝謝」。ちなみにその問題を考えながら、娘の保育園に行ったとき、ほかの親が園庭の門をあげてくれて、自分の口から滑り出した言葉は、「すみません、ありがとうございました。」

 数年前、中国語を教え始めた頃は、よくこう説明する。「すみません」という言葉は、「感謝」という意味でしたら、「謝謝」と言い、自分が間違ったという意味でしたら、「対不起」と言うべきだ。

 でも、なぜ自分は「すみません」と「ありがとう」を両方言うのか。
 
 そのとき、すみませんが表現したのは、他人にドアを開けてもらうことで、人に迷惑をかけたこと、その自分が悪かったことです。ありがとうは感謝の意を表すことです。

 人に迷惑をかけないように、すこしでもかけたら、すぐ他人に示そうとするやり方は、長年の生活経験から身につけたなと言える。
 
 ただし、人に迷惑をかけないように気にしすぎると、裏返せば人との積極的な関わりを避けようということにもなるから、ほどほどにしといた方がいいかもしれません。
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by nschinese | 2006-11-16 00:06 | できごと