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悔しい

四川大地震を追悼するために、5月11日の午後に中国全土で黙祷儀式が行われた。

半旗を掲げ、交通止めになり、胡錦涛をはじめ政府の要人、全国人民が3分間の黙祷を捧げた。
夜に大量の若者が天安門広場に集まり、追悼の儀式をし、最後は腕を振り上げて長時間に「中国頑張れ!」と叫んだ。
その映像を見て、「これって中国的追悼の仕方ですか?」と妻が不思議に聞いたが、ぼくは「いろんな経緯があったからでしょ」と不機嫌に答えた。

正直に、経済改革、政治改革を呼びかけるデモ運動がよく起きた80年代の中国で大学生活を送ったぼくは、このような場面に複雑な心境を抱いている。

今回は、これらの若者の気持ちを推測すれば、彼らはせっかくのオリンピック開催で、聖火リレーの妨害や天災が続き、自分の国にとっての大きな不幸として受け止めており、その感情の中から頑張ろうという叫びが出ただろう。

もちろん、それだけではない。親族や知人の死を経験した方ならわかるが、死者にたいして、こうしてあげればよかったという悔しさが長い間に心の中に残る。
なぜ学校がたくさん倒壊したか?今回の地震は果してまったく予測不可能だったのか?救援隊がもっと早く来れば・・・(阪神大震災の時に、救援活動に参加した自衛隊員の話によると、自分がすこしでも休むと、周りの人が責められる経験があるそうだ。その中に自責の気持ちもあるだろう)

じつは、地震が起きた数日前に、大量のカエルの車道を歩く現象が起きていた。これは地震の予兆ではないかという庶民の心配に対して、四川のテレビ局のはわざわざ、これはこの地域の自然環境が優れている印しだと解釈する番組を流した。

私自身は、1975年の海城大地震を経験した。当時は動物の異常行動、および小規模の地震の頻発によって地震予告に成功した。真冬にテント生活がされたが、死者が少なくて済んだ。残念なことに、1年後の唐山大地震に予報失敗。

今回でも、ある科学者は、中国中央テレビの中継の中で、自分のグループが予告したが、国家地震局に無理されたと主張した。
国家地震局からは、地震予報は世界的な難題で、現状では不可能だという見解を示した。
ところが、昨日成都に余震が起きる予告をした(結局はなかったが)のはなぜ可能か、と指摘する国内のブログもある。

意図的に隠蔽か、ただの無能か、失敗か、事後の指摘に無理があったのか、これらについて、私は判断できない。その上に、このことが、中国政府、軍隊の救援努力をパフォマンスと勝手に解釈し、悪意まで感じさせられた日本の一部のマスコミに悪用されたくない。

私が指摘したかったのは、亡くなった四川の人々、子供の映像を見ている私たちの悔しさ、とくに様々な制度上の難題に直面している中国人の心の中の悔しさそのものである。
もし学校の建築が手抜き工事であれば、厳しく責任を追究すべき。今度こそ募金がぜんぶ災害地区の人々のために使え。今度こそ手抜き工事が許せない。

国内不安に導く根拠不足の感情論的な責任追及を避けたい一方、今回の失敗の教訓をしっかりと生かしてほしい。地震研究体制の立て直し、そして日本のような地震大国に、震災後の復興策を謙虚に学んで欲しい。そして、何よりもこの災害から人心の浄化が必要である。

天安門広場での叫びは、民族被害意識の高まりで終わることなく、巨大な悔しさから深刻な反省や心の浄化が生まれることを願っています。
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by nschinese | 2008-05-21 10:52 | できごと