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大琳派展

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by nschinese | 2008-10-17 18:37

さいきん観た大陸の映画

中国大陸の映画監督を語るときに、「第5世代」「第6世代」という世代論がよく用いられるが、「第6世代」の以降はもういないと断言する評論家もいる。もちろんのこと、これから中国はもう映画を撮らないという意味ではない。

もともと「第何世代」とは、北京電影学院(電影は映画の意味)で入学、卒業の年によって分けられる世代である。いまは、撮影技術の進歩によって、その大学で研修したり、さらにそれと関係ない人も映画を撮られるようになったので、世代システムが崩れかけた。もちろん、その権威性も一緒に。

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「第5世代」の代表は、ペキンオリンピック開会式の監督にもつとめた張芸謀、活動拠点をアメリカに移した陳凱歌などです。「第6世代」の代表(彼らは、よく「領軍人物」と呼ばれて、やはり戦わないと自分の陣営を獲得できないイメージか)は、賈樟柯 (ジャ・ジャンクー) などで、いま40才前後の人たち。

さいきん観たいくつか中国の映画は、みな「第6世代」監督の作品で、「第5世代」よりはるかに共感しやすかった。残念なことに、こられの映画の多くは中国で上映禁止となっている「自主映画」、「インディペンデント映画」とも言われているものである。

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90年代以降の中国における映画審査制度および審査の実態はじつに面白い研究テーマだと思われる。まず彼らは、監督が作品を持ってくるのを待っている。そして審査する基準も公開していない。結果は「可」と「不可」だけ。面白いことに、多くの監督は最初から作品を審査機構に持っていかない。出来たらすぐに海外の映画祭に出品する。なんとか賞を取って帰国してから、「審査するを無視した」という理由で「上映不可の映画」となる例がかなり多い。

要するに、上映不可能と知りながら、映画を撮っている監督がたくさんいるってことだ。このような現象を支えているのは、いくつかの現実を挙げられる。

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一つは海外からの支持、映画祭での受賞、または後期製作するとき、海外から資金援助をもらえる。

もう一つ看過できない事実は、張芸謀のような監督でも「活きる」という上映禁止の映画がある。つまり、上映禁止だからと言って、文化大革命の時期のように迫害を受けるわけではない。ある監督はこの現象を「地上」から「地下」また「地下」から「地上」へと喩えている。それに上映禁止されている映画は、大学などで自主上映すること、DVDになって販売すること、さらにネットで映画丸ごとアップされることに対して、政府は積極的に干渉していないようだ。

こういった特殊な環境は、けっきょく(商業映画以外の)中国映画の形に強い影響を与えたと考えられる。視聴率よりも自分の感情を表現することに傾く。貧しさ、汚さ、不公平さ、乱暴な行為、習性などを撮りたがる。ただし、あくまでも私の主観だが、張芸謀などは中国の恥ずかしい部分を主観的、断片的、衝撃的な色彩や構図によって表現すると違って、新しい映画はもっと現実世界と距離をもって遠くから冷静に撮るようになった。

長く海外にいると、中国のこともだんだん分からなくなる。ニュース情報を知っていても、家族と友人と話しても、社会全体に対する感覚が鈍くなる。ときどきこういった映画を観たくなる。もちろんのこと、観た後、気持ちが重くなる時が多い。だから、観たあと、ブログを書こうと思っていても、なかなか書けなかった。

今日はもうたくさん書いたので、このへんで終わりにする。気が向いたら、最近みた映画の話を書きます。
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by nschinese | 2008-10-15 23:27 | 映画

夏休み 水戸近辺の畑 

夏休みに、水戸に行って来た。水戸は、「偕楽園」の梅が有名なので、観光季節といえば、春です。

f0011015_14332423.jpg 私が興味を持ったのは、明朝が滅ぼした後に、日本に亡命した朱舜水という人物です。彼は最初、長崎に住んでいたが、来日6年後、水戸黄門徳川光圀に招聘され、江戸に移住したのです。(正確にいうと、水戸藩の藩主はみな「水戸黄門」)
鎖国の時代にあたり、かなり異例なことと言えます。



水戸への途中。朱舜水は、江戸についたときは、もう70近く。江戸と水戸の間に数回往復した。当時はどんな風景だったのか。
f0011015_1436825.jpgそのような歳なので、きっと日本語を習わなかったのでしょう。それに、日本人に嫁をもらおうかと進められたが、丁重に断ったそうです。
周りに漢文がわかる人が多くて、筆談で意思疎通ができたでしょう。


彼の墓は常陸太田にあると聞き、水郡線に乗って向かった。
常陸太田行きは、上菅谷という駅で乗り換えなければならない。



f0011015_15201436.jpg30分以上、上菅谷で電車を待つ間に、田舎の風景に癒されました。










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お墓は、常陸太田にある瑞龍山にあるが、それは水戸藩主累代の墓地で、いまは開放されていません。

最初から知っているので、べつに気にしません。ついでに西山荘という場所を探しに畑沿いを歩いた。西山荘は、光圀が晩年隠居するところで、その中で『大日本史』を添削されました。




f0011015_150252.jpg帰りに、タクシー運転手さんに、自分が中国人で、朱舜水に興味があると言ったら、「10年前にお客さんを瑞龍山に案内したことがあります。藩主家以外のは、朱舜水先生のお墓だけで、なかなかりっぱな、普通のと違うお墓でした」と教えてもらいました。

周りは薄暗くなってきたせいか、山に囲まれている稲が実ってきた畑を、朱舜水先生に見守られている中で歩いているような気もしました。

「朱舜水先生が本当に日本の皆さんにお世話になりました」と勝手に(笑)、感謝の気持ちがいっぱいでした。
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by nschinese | 2008-10-14 15:16 | できごと

イントゥ・ザ・ワイルド

f0011015_22393927.jpg翻訳の納期を守るため、夜2時半まで苦闘したあとに、恵比寿でこの映画を観た。雄大な風景を見たくて、解放感を味わいたかったからだ。

『イントゥ・ザ・ワイルド』は、実話に基づいた映画。
1990年に卒業したアメリカの大学生が両親へ通告なしに、しかも、全部の貯金を寄付し、短期間のアルバイトなどでの過酷な旅に出た。
放浪の果て、1992年にアラスカへ向かう途中の荒野で死亡した10数年後に、この話が映画になった。

「自分探し」と呼ばれると、やや短絡に思われる。旅費を持たずに、無謀とも言えるこの行動に、両親への、社会への反抗が色濃く映し出されている。主人公は、豊かな物質、金銭、パワー、コントロール、つまり近代社会から自由になりたかった。

「解放」を主題とする映画はいくらでもある。しかし、その殆どは熱狂的な音楽、薬、セックス、暴力の道へ向かう。それとは違って、放浪の道でも道徳的に、人と暖かく付き合っていた彼の物語を観て、後味が非常に穏やかなものだった。
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by nschinese | 2008-10-10 00:39 | 映画