最後まで頑張ります。

安土城を作り始めてからの収穫の一つは、話のネタが増えた。
同じテーマについて人の反応がそれぞれなので、その違いを考えるのも面白い。

さて、今日の会話ですが・・・

じつは、昨日アップしたのは、4号までの作業。すでに8号が発売している。

いつも、1年生の娘が教室に来る時に一緒に作るし、それに最近翻訳の締め切りに追われて作業はなかなか捗らない。
10号分も遅れる時点で終了しようかなと、弱気になって学生に話した。

MTさんはすぐに
「最後までやってくださいよ。
故宮博物院のそんなに細かいものを作った国の人だから・・・」とおっしゃってくれた。

そうですね。
2年間で作り上げられなくても、材料だけ買い溜めて、4年間でもいいからやり遂げます。

マラソンを走る学生を応援したくなると同じように、人に応援する分、自分にも励みになるに違いない。
MTさんにとっても同じだろう。

それに、「そんなに細かいものを作った国の人だから・・・」というのも、すごく心に響いた言葉だった!
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# by nschinese | 2009-03-27 00:06

壁の半分ができた

昨日、安土城の最上階である6階の壁を半分つくった。

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窓の裏側に、中国の古代人物を描く絵が飾っている。それがぼくにとってのポイントの一つであった。
日本にきたばかりのとき、琳派などの日本芸術を代表する絵に大変興味を感じていたが、
じっさいお寺などの壁にある絵を見ると、中国の物語りはたくさん描かれている。

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屋根を壁に仮に重ねてみる。バランスがぜんぜんよくないよね。
でも、風鈴がかわいいでしょ。

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# by nschinese | 2009-03-25 09:47 | 安土城

完走しました!

「KMさんは完走したかな?」
「足をけがしたから、たぶん無理でしょう」とレッスンの前に他の学生と雑談していた。

その時、いつもOLのかっこうのKMさんが、カジュアルな服で入ってきた。

「5時間15分で完走しました!」 パチパチ!

よく頑張りました!

「会社は一日休ませてもらって、今日は中国語だけです。」

中国語「マラソン」も制覇してください!




ところで、タレントの松村邦洋さんが途中で倒れたのは、可哀そうですね。
近所の駅で一度見かけたことがあり、近くに住んでいるかと思う。

視聴率をあげるため、芸能人やアナウンサーに仕事としてこのようなことをさせないほうがいいと思うのはぼくだけでしょうか。

あと、もともと太っているタレントさんを、いっぱい食べさせる番組。


「頑張れ」と「無理しないで」の境目って、難しいですよね。
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# by nschinese | 2009-03-24 09:33

成長する安土城

安土城はだんだん成長しますよ。


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# by nschinese | 2009-03-23 09:22 | 安土城

東京マラソン、がんばれ!

いま、テレビをつけたまま、翻訳の仕事をしています。
東京マラソンの先頭は皇居を通ったところです。

本教室でもマラソンブールです。
去年はUMさんが完走し、踊りながらゴールする姿はいまも覚えています(選手の番号を知っていれば、ネットでゴール姿が見えるので)

今年はKMさんが出場しています。彼女は足が怪我しており、完走できるか心配ですが、がんばれ!

先月、それぞれハーフマラソンに参加したKKさん、NKさんも、きっと今テレビを見ているのでしょう。
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# by nschinese | 2009-03-22 09:46 | 教室

ぼけたとき・・・

金曜日に久しぶりに家族で横浜中華街に行って来た。

きりさめの中で山下公園の岸に泊めている日本郵船氷川丸に乗り込んだ。

はじめて航海する船に上がる娘に「パパは一才の時に、こんな大きな船を乗って大連から上海まで行ったのよ」と説明しながら、母から何回も聞いた文化大革命の嵐の中で、二晩船室で人民解放軍のお兄さんに遊んでもらった場面が浮かんでくる。まるで自分が本当に見たように。

大学時代、年に3、4回は航海する船に乗っていたが、もちろん、目の前の仏壇以外にすべて洋式の1930年に竣工された豪華な船とは大きく違う。中国近代史の中で、このような豪華船は一度も作らなかったじゃないかと思った。

その後は、定番の「聘珍楼」の飲茶。
ぼくが日本でのはじめての誕生日に横浜に来て、この百年以上の歴史をもつ店に一目ぼれにした以来、ほぼ毎回ここで食事する。ぼくの一押しの料理は「広東式焼きダック(广东烤鸭)」。北京ダックとは違ってねぎも味噌もつつむ皮も使わずに、しかも肉は北京ダックほど脂ぽっくなく、鴨の味がする。
食卓で長女に「パパがぼけたとき、「あれを食べたい、あれあれ」という時、これだと覚えてね」と言った。出されたダックは上品すぎて骨もなく、ちょっと残念だった。ぼくにとって、その骨をしゃぶる時は一番自分が外国人としての中国人だと自覚する時でもあるからだ(笑)。

さてさて、満腹になって店を出て、妈祖祭りの賑やかなパレートに出会って、初めて関帝廟で線香をささげ、娘たちの要望で吉本グッツを売る店に入った。

階段を登っていくと、銅像が見える。その下に、名前がこう書いてある。

「桑麻教授」 と 「撒卡那君副教授」


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中国語が読める方はもうご存知でしょう。





このお2人でした!
























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# by nschinese | 2009-03-21 15:50

北京で仕事をしませんか。

先週末に昔の学生(日本人)からメールをもらった。

北京にある中国系放送局で働きたい日本人を探しているそうです。

中国語能力よりも、日本語能力を重視するそうです。

ご興味のある方はご連絡ください。
(できれば、ぼくが知っている方、本教室の関係者またはお知り合いの方でお願いします。)
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# by nschinese | 2009-03-19 12:11

「安土城」が佳境に入る

午後、「安土城」の作業に取り組み始めた。
スプレーで色をつけたり、きれいに削り、穴に差し込む・・・・・・。
レッスンの直前まで、机の上に部品が散乱していた。

一番上の楼閣部分の形が見えてきた!
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完成までは2年以上かかります。頑張ります!
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PS:
まだ2年の道のりがあるのに、「佳境」って語弊じゃないか、と妻に指摘されちゃった。

たしかに、ちっぱけな成果で喜ぶことないでしょう。(反省)

でも、考えを変えれば、
大きな仕事や勉強を小刻みの目標に分解し、達成した時点で喜びの気分に浸れることも悪くない。

ドーパミンが脳内で何度も何度も分泌されるからです。
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# by nschinese | 2009-03-17 22:13 | 安土城

習い事

若いアメリカ人の新米先生に「日本人のみんなは、なんで外国語を勉強するの?」と質問された。

それは、ぼくが最初もった疑問でもあった。

「なんで中国語を勉強するの?」と聞いたら、「とくに理由がないですが、ただ・・・・・・」との答えが多い。

彼女に、「ならいごと」と日本語で説明すると、「ならうごとね」と繰り返された。

日本人と変わらない日本語をしゃべっている彼女には、「習い事」という語彙はまだなかったのね。
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# by nschinese | 2009-03-16 18:10

壮行会

日曜日、池袋での壮行会は5時半から!

主役のFLさんは体調が思わしくないため、最後まで本人が出席できないかという心配が残っていた。
彼が店のドアを推した瞬間、みんながほっとした表情になった。

「この教室の復学率が高いので、ぼくも2、3年後戻ってきます。」
FLさんの言葉にちょっと感動しました。
そのとき、9人のうち、「はい!」と2人手を挙げていた。
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# by nschinese | 2009-03-16 08:44

11年ぶり

壮行会の前に、最初の学生であるHGさんと一緒に、立教大学の校門前に寄り道をした。
11年ぶりの立教大学!個人レッスンのために、どこでも行くぼくの姿が目に浮かぶ。

「その時の教え方は下手でしたよね」とぼくが聞いたら、
「はい!」と彼女に言われました!
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# by nschinese | 2009-03-16 08:10

辞書を引くときは慎重に!

先週、電子辞書を買い換えました。
娘と一緒に使いたいから、中国語と英語の発音、大辞林が付いているcanon wordtank V903を選びました。おまけに広東語、台湾語、上海語の日常会話の発音機能もあり、感動しました!

昨日の夜、辞書について広東語の発音を練習(?)したら、「なんで中国人が中国語を練習するの?」と言われちゃいました。
本教室に広東語が話せる人はいつも2、3人います。広東料理屋で飲み会をするとき、学生が店員さんと広東語で会話するのに、中国人のぼくが分からなかったことに悔しい!

さて、恥ずかしながら、ぼくはかなり怠け者で、日本語を勉強したときに、辞書をそれほど引かなかったです。むしろ、中国語を教え、翻訳の仕事を始めてから、よく引くようになりました。

よく分かっている日本語をどうやって中国語に訳すかを知りたいために辞書を引きます。
大変参考にはなりますが、対訳語をそのまま使うのは、2割もないです。
つまり、こういう風にも訳せるんだと分かって、そこからイメージを膨らませて、文脈にそった訳語を探します。
なので、授業中も引きます。もちろん学生も引きます。
辞書にある解釈は、多くの解釈の中の一つにすぎないので、もっと文脈にそった訳し方を学べるからこそ授業に出る価値があります。

我田引水の話になって恐縮ですが、これから本題に入ります。

昨日、論文を翻訳したとき、この新しい辞書を引いて意味を確かめていました。ある言葉をみて見覚えがあるように思いました。辞書って似たりするのも普通なんだからと思いながらも、それでも…

それで初めて辞書を名前を確認しました(いかに買い物がいい加減だ!反省)。あれ、ぼくが参加した講談社の「日中辞典」ではありませんか?!

それは大学院生時代のときの仕事でした。おまけに、一つ逸話(?)があります。

「えっち」という言葉が出てきて、どう翻訳するか、ちょっと悩みました。手元にある80年代に中国で出版された辞書を引いて、説明に笑っちゃいました。「変態」だそうです! たしかにHの語源でしょうね。

しかたなく、「好色」と「下流」で「えっちだね」という形容詞の用法を訳しましたが、動詞的な用法をつけませんでせいた。電子辞書になっても、そのままで動詞的用法がありません。

やはり、辞書を使う時は、慎重に文脈を考えてください!
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# by nschinese | 2009-02-28 10:21

年末

あと数時間で今年も終わりですね。

中国語教室を始めてから、「2008年」はずっと、ぼくにとって、大変重要な一年でした。
それは、「北京オリンピックまで中国語のブームは続きますね」とよく言われるからです。
その後どうなるかはずっと気になります。

じっさい、四川大地震、チベット暴動、オリンピック開会式に対する文句ばかりで、国内にいる中国人の士気高揚と裏腹に、ぼくにとってはハラハラの連続でした。
幸いなことに、これらのことで教室をやめる人は一人もいなかったし、入学の人数は減ってもなく、増えもしなかった、影響はゼロに近いです。

教室としては、今年も平和で気持ちのよい一年でした。
数年ぶりの教室全員参加の忘年会は2回も開催し、人数がいちばん多かった12月20日は26名で大賑わいでした。27日は羊肉火鍋のあとに中国語カラオケ、かなり盛り上がりました。

この一年をふりかえると、楽しいことは書ききれません。

1、結婚

去年の出産ラッシュに続き、年始に3名女性からおめでたく結婚する報告を受けました。
そして4月に、4年ほど在籍したOKさんは、中国赴任が決まり、送別会を行う時に、突然別のクラスのNKさんと結婚することを皆さんに報告しました。先生がまったく把握していないところで、本教室の初カップルが誕生しました!

2、赴任

OKさんの仏山赴任につづき、6年ほど在籍したNMさんも香港赴任が決まりました。NMさんは台湾、香港、上海、マレーシア、憧れの歌手のコンサートがあればどこまでも応援していくほどの中華歌手の大ファンです。香港に行く前にNMさんが本教室に寄贈してくれたCD、DVDを中心に、「NM文庫」ができました。

3、試験

子供クラスは、年齢によって細かくクラス分けをしています。小学生4-6年クラスは3人で、半年間勉強した後に、11月の中検準四級試験に全員受かりました!
また、初級クラスのMMさんは4級試験を受けて、200満点でリスニング100点、筆記94点の高得点を獲得しました!

4、旅行

毎年と同じように、多くの方が中華圏に出張、旅行、コンサートを聴きに出かけました。そのなか、クラス全員4人が一緒に北京に旅行してきたことは、はじめてのことです。北京で8月まで在籍していた同じクラスのメンバーHZさんと食事ができました。旅での出会いも含め、楽しさが目に浮かびます。

5、会社出張レッスン

ホームページ上ではまだ宣伝していませんが、今年から会社での出張レッスンも始まりました。まだ数ヶ月しかないですが、好評のようです。これからも社会法人や自主サークルに利用して頂きたいです。

それから、
赴任地北京から日本に帰国したHKさんの歓迎会、
NMさんの送別会で、いま教室に通っていない皆さんと再会できたこと、
中華圏芸能情報を熟知している方からの紹介で興味深い映画を見られたこと、
会話の時間で聞かせていただいたたくさんの楽しい話
……

来年はどんな一年になるのでしょう。
深刻な世界的な経済危機がやってきたこの年末に、心配もありながら、危機によって行き過ぎた競争システムが見直され、人々も「物欲」に囚われずにより豊かな心を求める時代になりますように期待しています。

不景気の時代こそ勉強し、
自分の世界を充実させ、成長させる発想は大切かもしれません。

ちょうど来年は牛の年です。
牛は足が遅いけれども、「一歩一個脚印」(一歩進むたびに足跡しっかりと残す)です。
今年は、ぜひ皆さんと一緒に、こつこつと、地道に努力して行きたいです。

今年は皆さんにお世話になりました。
良いお年をお迎えください。
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# by nschinese | 2008-12-31 16:53

大琳派展

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# by nschinese | 2008-10-17 18:37

さいきん観た大陸の映画

中国大陸の映画監督を語るときに、「第5世代」「第6世代」という世代論がよく用いられるが、「第6世代」の以降はもういないと断言する評論家もいる。もちろんのこと、これから中国はもう映画を撮らないという意味ではない。

もともと「第何世代」とは、北京電影学院(電影は映画の意味)で入学、卒業の年によって分けられる世代である。いまは、撮影技術の進歩によって、その大学で研修したり、さらにそれと関係ない人も映画を撮られるようになったので、世代システムが崩れかけた。もちろん、その権威性も一緒に。

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「第5世代」の代表は、ペキンオリンピック開会式の監督にもつとめた張芸謀、活動拠点をアメリカに移した陳凱歌などです。「第6世代」の代表(彼らは、よく「領軍人物」と呼ばれて、やはり戦わないと自分の陣営を獲得できないイメージか)は、賈樟柯 (ジャ・ジャンクー) などで、いま40才前後の人たち。

さいきん観たいくつか中国の映画は、みな「第6世代」監督の作品で、「第5世代」よりはるかに共感しやすかった。残念なことに、こられの映画の多くは中国で上映禁止となっている「自主映画」、「インディペンデント映画」とも言われているものである。

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90年代以降の中国における映画審査制度および審査の実態はじつに面白い研究テーマだと思われる。まず彼らは、監督が作品を持ってくるのを待っている。そして審査する基準も公開していない。結果は「可」と「不可」だけ。面白いことに、多くの監督は最初から作品を審査機構に持っていかない。出来たらすぐに海外の映画祭に出品する。なんとか賞を取って帰国してから、「審査するを無視した」という理由で「上映不可の映画」となる例がかなり多い。

要するに、上映不可能と知りながら、映画を撮っている監督がたくさんいるってことだ。このような現象を支えているのは、いくつかの現実を挙げられる。

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一つは海外からの支持、映画祭での受賞、または後期製作するとき、海外から資金援助をもらえる。

もう一つ看過できない事実は、張芸謀のような監督でも「活きる」という上映禁止の映画がある。つまり、上映禁止だからと言って、文化大革命の時期のように迫害を受けるわけではない。ある監督はこの現象を「地上」から「地下」また「地下」から「地上」へと喩えている。それに上映禁止されている映画は、大学などで自主上映すること、DVDになって販売すること、さらにネットで映画丸ごとアップされることに対して、政府は積極的に干渉していないようだ。

こういった特殊な環境は、けっきょく(商業映画以外の)中国映画の形に強い影響を与えたと考えられる。視聴率よりも自分の感情を表現することに傾く。貧しさ、汚さ、不公平さ、乱暴な行為、習性などを撮りたがる。ただし、あくまでも私の主観だが、張芸謀などは中国の恥ずかしい部分を主観的、断片的、衝撃的な色彩や構図によって表現すると違って、新しい映画はもっと現実世界と距離をもって遠くから冷静に撮るようになった。

長く海外にいると、中国のこともだんだん分からなくなる。ニュース情報を知っていても、家族と友人と話しても、社会全体に対する感覚が鈍くなる。ときどきこういった映画を観たくなる。もちろんのこと、観た後、気持ちが重くなる時が多い。だから、観たあと、ブログを書こうと思っていても、なかなか書けなかった。

今日はもうたくさん書いたので、このへんで終わりにする。気が向いたら、最近みた映画の話を書きます。
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# by nschinese | 2008-10-15 23:27 | 映画

夏休み 水戸近辺の畑 

夏休みに、水戸に行って来た。水戸は、「偕楽園」の梅が有名なので、観光季節といえば、春です。

f0011015_14332423.jpg 私が興味を持ったのは、明朝が滅ぼした後に、日本に亡命した朱舜水という人物です。彼は最初、長崎に住んでいたが、来日6年後、水戸黄門徳川光圀に招聘され、江戸に移住したのです。(正確にいうと、水戸藩の藩主はみな「水戸黄門」)
鎖国の時代にあたり、かなり異例なことと言えます。



水戸への途中。朱舜水は、江戸についたときは、もう70近く。江戸と水戸の間に数回往復した。当時はどんな風景だったのか。
f0011015_1436825.jpgそのような歳なので、きっと日本語を習わなかったのでしょう。それに、日本人に嫁をもらおうかと進められたが、丁重に断ったそうです。
周りに漢文がわかる人が多くて、筆談で意思疎通ができたでしょう。


彼の墓は常陸太田にあると聞き、水郡線に乗って向かった。
常陸太田行きは、上菅谷という駅で乗り換えなければならない。



f0011015_15201436.jpg30分以上、上菅谷で電車を待つ間に、田舎の風景に癒されました。










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お墓は、常陸太田にある瑞龍山にあるが、それは水戸藩主累代の墓地で、いまは開放されていません。

最初から知っているので、べつに気にしません。ついでに西山荘という場所を探しに畑沿いを歩いた。西山荘は、光圀が晩年隠居するところで、その中で『大日本史』を添削されました。




f0011015_150252.jpg帰りに、タクシー運転手さんに、自分が中国人で、朱舜水に興味があると言ったら、「10年前にお客さんを瑞龍山に案内したことがあります。藩主家以外のは、朱舜水先生のお墓だけで、なかなかりっぱな、普通のと違うお墓でした」と教えてもらいました。

周りは薄暗くなってきたせいか、山に囲まれている稲が実ってきた畑を、朱舜水先生に見守られている中で歩いているような気もしました。

「朱舜水先生が本当に日本の皆さんにお世話になりました」と勝手に(笑)、感謝の気持ちがいっぱいでした。
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# by nschinese | 2008-10-14 15:16 | できごと

イントゥ・ザ・ワイルド

f0011015_22393927.jpg翻訳の納期を守るため、夜2時半まで苦闘したあとに、恵比寿でこの映画を観た。雄大な風景を見たくて、解放感を味わいたかったからだ。

『イントゥ・ザ・ワイルド』は、実話に基づいた映画。
1990年に卒業したアメリカの大学生が両親へ通告なしに、しかも、全部の貯金を寄付し、短期間のアルバイトなどでの過酷な旅に出た。
放浪の果て、1992年にアラスカへ向かう途中の荒野で死亡した10数年後に、この話が映画になった。

「自分探し」と呼ばれると、やや短絡に思われる。旅費を持たずに、無謀とも言えるこの行動に、両親への、社会への反抗が色濃く映し出されている。主人公は、豊かな物質、金銭、パワー、コントロール、つまり近代社会から自由になりたかった。

「解放」を主題とする映画はいくらでもある。しかし、その殆どは熱狂的な音楽、薬、セックス、暴力の道へ向かう。それとは違って、放浪の道でも道徳的に、人と暖かく付き合っていた彼の物語を観て、後味が非常に穏やかなものだった。
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# by nschinese | 2008-10-10 00:39 | 映画

採点中に思うこと

月曜日、期末試験が行われた。
試験の前に、K君が中国語検定4級合格の通知を、私に見せてくれた。
さらに、夏休みに北京に留学にいくそうです。
教師として、うれしかった。

一つクラスは40人前後で、それでも中国語を選択する学生が増え続けているそうだ。
だからと言って、これらの大学生が「親中」とは、まったく思わない。

餃子問題がメディアに盛んに取り上げられたとき、
ある日、電車であったT君から、「中国が怖いね」と言われた。
言っていたT君の表情は、微妙に慎重だった。

私は、むしろ興味があり、聞いてみた。「いま、メディアで中国への批判が多い中、どうして皆さんから、このような問題について、先生に質問する人がいなかったの?」
立場をかえって、私が大学生だったら、おそらく日本人の先生に質問していた。
日中関係についてどう思う?とか。
私が知りたかったのは、いったい、若い人は政治に関心がないのか、それとも遠慮していえなかったか。

彼の答えは、「だってたとえば、中国は海賊版の話とかを、中国の先生に聞いたら、怒られそうでしょう」
そうだったのね。

私は彼に言えたことは、「私たちは若い時から、日本語を勉強して、10数年の中、たくさんの喧嘩を見てきました。親日、反日という感情論に囚われると、不毛な結果になるしかない。できるだけ、相手のことを知ろうとするのが一番大事かもしれない」だった。

日本も、中国も、「日中友好」という大前提に拘る必要がなく、普通の国と国の関係として(どの国とも友好な態度に取ったほうが良いよね)、冷静に日中関係をみることができる若い世代に期待したい。


ゆうべ、中国人作家楊逸さんが、芥川賞を取ったニュースを知り、はやく読んでみたいです。
受賞小説は、天安門事件を触れた小説なので、中国国内でどのように報道されるか、むしろ興味があります。
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# by nschinese | 2008-07-16 09:27

よく寝ていますか。

おはようございます。

今日は朝から暑いですね。
この二週間、まめにブログを書くようになって、読んでくださる方も多くなってきました。
励みになります。ありがとうございます。

最近、読んだ二冊の本、
『人体使用手冊』(人体使用マニュアル)(呉清忠,花城出版社)(中文)
『40歳からの肉体改造 -頑張らないトレーニング』(有吉与志恵ありよし・よしえ 築摩書店)
両方とも睡眠の大切さを指摘しました。

とくに有吉与志恵さん(彼女のブログはこちらから)は、フィットネス業界で働きながら、無理にしてトレーニングするよりも、筋肉をコンディショニング(調整する)方がよい、そして、「睡眠することで、意思による筋活動をお休みして、回復する機能を持っている」というのです。

自分も含めて、周りに夜型の人が多いです。
早く寝るように頑張りましょう。



別件ですが、
しばらく中止していたTECCは、年末に再開するそうです。
事務局から以下の連絡が来ました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
中国語コミュニケーション能力検定(TECC )で

あなたの中国語「実践力」を正確に測定!

第20回検定は、12月14(日)に実施いたします!

お申し込み期間は9月1日(月)~11月7日(金)。

中国語学習のペースメーカーに、TECC を!

http://www.tecc-web.jp/
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



もうすぐ授業の時間で、皆さんからのお話を楽しみにしています。
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# by nschinese | 2008-07-12 10:00

バランスと言葉を教えること

「余計なことを喋るな」、教えるときに、自分に言い聞かせることがある。
余計なこととは、雰囲気をなごやかにさせる雑談や、文化背景の話ではなく、
文法説明や解釈のことである。

とくに最近、教室で高学年の小学生に教える機会があった。
彼らにむかって「特定の名詞」や「任意の名詞」を説教するのは、
まさに「馬の耳に念仏」。

(ちなみに、中国語では、「对牛弹琴」 。
牛に向かって演奏するってこと。
まあ、そうやって牛のお肉が柔らかくなる効果もあるかもしれない。
それはともかく。)

たとえば、你要吗? と 你要几个? 
大人に教えると、「疑問詞を使うときに「吗」を使わない」という説明が不可欠だし、
それにしても、学生がよく間違う。

(そもそも、こうやっている先生本人も、じつは善意に学生を騙している。
教えて半年後、「じつはね、疑問詞を使う時に、「吗」を使っていいのよ」と説明する。
たとえば、你知道他是谁吗?
ただし、この時に聞いているのは、「知っているか」ということだ。)

ところが、小学生は、言われなくても、最初の段階では間違えない。
理屈を求めない脳が、柔軟的に外の世界のルールにマッチしていく。

(そして、私たち大人は、この点を悪用して、
子供に理不尽の社会「通念」を押し付けていく。)

昨日、彼らの一人がやっと気づいた。
「なんで、教室里有几个人?というとき、 吗を言わないの?」と聞いた。
そして、私が簡単に説明してやった。


考えてみれば、語学レッスンは、体育、音楽、美術に似ている。
分からせるよりも、話せるようにもっていくのが、本来の目標である。
文法説明などは、手段にすぎない。

「言葉は慣れ」と言ってしまえば、教師としての職責を放棄のように聞こえる。
説明しすぎて、いつも「○」「×」と決める先生も、
熱心ではあるが、方法論的に改善する余地がある。

そもそも、バランスが取れているレッスンとは、
鉄棒の逆上がりをやろうとする人が、ギリギリにできるか、できないかというときに、
背中を軽く押し上げることだろう。

強すぎぬ、軽すぎぬ、これがバランスということだ。
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# by nschinese | 2008-07-10 09:30

私の名前の話

日本人の名前に「黒沢さん」と「黒澤さん」が違うように認識されている。
書き間違うと、私の「さわ」は古い「さわ」だと訂正される。

ところが、私が中野区に結婚届けを出したとき、自分の名前を「松涛」と書いたら、
職員さんがしばらく悩んで、康煕辞書を引いたりして、「松濤」にしないとだめと教えて(?)くれた。

仕方なく、結婚届けの紙を汚して、自分の名前に二本の線を引いて、赤い訂正印を押した。
(いま思うと、その訂正印に使った字は「松濤」だった)

パスポート上の書き方とは違うとはいえ、
自分のお爺ちゃんの代までは、「濤」と書くのでいいじゃないかと思うし、
小学校の時に作ったその印鑑にも難しい「濤」を使っているのだ。

ある大学の先生は、メールでいつも「松涛」とせずに、「松濤」を選ぶ。
なにか理由でもあるかと聞いたら、「涛」は当用漢字・常用漢字に入っていないので、
(日本語の規定の中では)俗字であるので、旧字(正字)を使ったほうが正しいと説明してくださった。

それではじめて区役所の職員の悩みを理解できた。
その後、自分も人によって、「涛」と「濤」を半々の頻度で使うようになった。

といっても、じつは恥ずかしい話だが、私は日本に来た最初の時に「濤」という字を書けなかった。
台湾出身の友達に「自分の名前も書けないの?」と笑われたことがある。
いまはもちろん、頑張って覚えた。

とくに娘が漢字を習い始めてから、家でこのような話をする機会が多くなって、
娘が生まれたばかりの時に、親戚の友人が彫ってくれた印鑑を見せ、彼女の名前にある「絵」は「繪」となっている。
漢字の面白さを一つ教えてやった。

要するに、私の中では「沢」でも「澤」でも、「涛」でも「濤」でも同じ漢字である。
そもそも、「漢字」というシステムは、一つの文字に対して多様な書き方が許されるシステムだと考えてよいだろう。
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# by nschinese | 2008-07-09 09:02

山道を歩く

山腹に建てられ、緑に恵まれる大学のキャンパスから、
普段は、駅までの移動は、バスで5分間ぐらいかかる。

今日は今学期の最終日、授業はいつもより早く終わった。
どうせバスを待つのも時間かかるから、一念発起して歩いて山を下りる。

雨の後のむしむしとした空気や草の匂い漂うなかで気持ちよく歩いた。
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# by nschinese | 2008-07-07 22:21

80年代

1980年代は、中国人にとってかなり重要な年代だった。
自分の生活体験で言いますと、その前はお腹いっぱいにすることさえ難しかったが、
80年代から次第にカラーテレビ、冷蔵庫が家に入ってきた。

80年代以降生まれたわかものは「80後」と呼ばれて、
80後作家も世に作品を送り始めた。

友人から映画の知らせが来ており、

「この夏、奇しくも同じ渋谷で、70年代末~80年代を舞台にした
中国第6世代の映画が公開されます。

 『1978年、冬〈西幹道〉』 http://www.1978-winter.com/
 『天安門、恋人たち〈頤和園〉』 http://www.imageforum.co.jp/tenanmon/
( 〉内は原題。」


とりわけぼくが見ると、興味深い内容が含んでいるそうです。

多感な青春時代が映画になったというのは、年齢を感じさせるメッセージでもあるよね。
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# by nschinese | 2008-07-05 09:31

おひさしぶりです!

おひさしぶり~  
ご無沙汰しております~

これっていい言葉だなとつくつく思う。

教室で、「おひさしぶり~」と口にする時の
皆さんの笑顔をみるたびにそう思うのです。

昨日、ブログを書いた時に、
彼女がまだ中国にいるかな、彼はまだ台湾で頑張ってるかな、
と思いが遠くまで飛び回っていた。
(その妄想自体も、とても気持ちのいいものですが)
なんと、午後になると、「ご無沙汰しております」のメールが何件も入ってきて、
まさにシンクロニシティー!
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# by nschinese | 2008-07-04 12:04

もうひとつのことばになりたい

ひとつの地球なのに、数え切れないほどのことば。
                 
おかあさんのことば、国語のセンセイが教えてくれることば        
物理の実験室で使うことば        
お寺のお坊さんと哲学家のことば
       
ひとつ地球なのに     
数え切れないほどのことばがあるこそ
数え切れないほど、世界が違う顔を見せてくれる    

もうひとつの世界に潜り込んでいきたい

それよりも、もう一つのことばになりたい!

もっともっと
島の外に暮している人々の心の中へ 
     
ことばになって
とどいていきたい


・本屋で「ことばになりたい」(一倉 宏 著)というタイトルの本とであって、
ステキなことばだなと感心しました。

youTubeで、この詩がアップされています。
ことばになりたい

すこしイメージを膨らませて、自分の感想をブログに書き残しました。
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# by nschinese | 2008-07-03 11:42

山のあなた 徳市の恋

昨日、「山のあなた 徳市の恋」という映画をみてきました。

舞台は山奥の温泉街、話はマッサージと淡い恋、
時代はおそらく大正、とにかく癒してくれる映画です。

なによりも、同石井克人監督の「茶の味」は、ぼくの一押しです。
これは見逃せない!

この映画には、どこか孤独の旅人のさみしい雰囲気が漂っています。
でも、ぼくは、その孤独を癒してくれる温泉旅館に心が惹かれる。
いや、心(あたま?)よりも体かもしれません。

お客さんの部屋と部屋の間は、廊下はあるものの、壁がなく、
ふすまで区切っている。
たたみの上でごろごろして昼寝する姿は青い山と一体になる。

自分は、貧乏性なので、昔から旅行するときは、宿にはこだわりがなく、
というより関心すらさほどなかった。
それほど汚くなければ、静かに寝られるなら十分、
とにかく外に出て風景や名所を見たい。
もったいないことに、温泉のありがたさもよくわかりませんでした。

よく考えると、中国では、立派なホテルが文字通り竹の子のように出てきたが、
昔ながらの味のある民宿はなぜかありません。
中国人は昔から宿に対して感心が薄かったかもしれません。

さてさて、今日は大学の期末試験問題の用意をしなければならない。

試験来たりなば、夏休み遠からじ~~

夏休みまで、お互いに頑張りましょう!
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# by nschinese | 2008-06-26 10:32 | 映画

外国語勉強法

1、発音と羞恥心

言語を変えると、あるで人格が変わった例はいくらでもある。
日本語で上司にストレートに言えないことは、中国語を使うなら可能…
中国大使館に行くと、窓口で資料を投げる職員がいざ日本語に変えると、話し方がかわいくなる…それは上級者の話だ。

初級者について言えば、
教わった発音をお芝居をするようにまねしようとする人もいれば、
大げさじゃないか、ちょっと恥ずかしいと思う人もいるのだろう。

発音に関して、センスがあるかどうか、耳が良いかどうかとよく聞くが、
それ以前に、この羞恥心の有無を意識してみたらいかがですか?

2、作文と要約

作文能力を挙げるために、どうすれば良いか。

ある程度のレベルに達すると、たとえばぼくの場合、
よく日本語らしい言い回しを使わずに簡単な表現で済ませようとする。

ある先生に相談したら、よいと思われる文章の要約を作ってみたら、と言われました。
それがいいかも!
ただし勉強時間を作らないとね。(てんてんてん)
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# by nschinese | 2008-06-11 10:27 | 勉強

悔しい

四川大地震を追悼するために、5月11日の午後に中国全土で黙祷儀式が行われた。

半旗を掲げ、交通止めになり、胡錦涛をはじめ政府の要人、全国人民が3分間の黙祷を捧げた。
夜に大量の若者が天安門広場に集まり、追悼の儀式をし、最後は腕を振り上げて長時間に「中国頑張れ!」と叫んだ。
その映像を見て、「これって中国的追悼の仕方ですか?」と妻が不思議に聞いたが、ぼくは「いろんな経緯があったからでしょ」と不機嫌に答えた。

正直に、経済改革、政治改革を呼びかけるデモ運動がよく起きた80年代の中国で大学生活を送ったぼくは、このような場面に複雑な心境を抱いている。

今回は、これらの若者の気持ちを推測すれば、彼らはせっかくのオリンピック開催で、聖火リレーの妨害や天災が続き、自分の国にとっての大きな不幸として受け止めており、その感情の中から頑張ろうという叫びが出ただろう。

もちろん、それだけではない。親族や知人の死を経験した方ならわかるが、死者にたいして、こうしてあげればよかったという悔しさが長い間に心の中に残る。
なぜ学校がたくさん倒壊したか?今回の地震は果してまったく予測不可能だったのか?救援隊がもっと早く来れば・・・(阪神大震災の時に、救援活動に参加した自衛隊員の話によると、自分がすこしでも休むと、周りの人が責められる経験があるそうだ。その中に自責の気持ちもあるだろう)

じつは、地震が起きた数日前に、大量のカエルの車道を歩く現象が起きていた。これは地震の予兆ではないかという庶民の心配に対して、四川のテレビ局のはわざわざ、これはこの地域の自然環境が優れている印しだと解釈する番組を流した。

私自身は、1975年の海城大地震を経験した。当時は動物の異常行動、および小規模の地震の頻発によって地震予告に成功した。真冬にテント生活がされたが、死者が少なくて済んだ。残念なことに、1年後の唐山大地震に予報失敗。

今回でも、ある科学者は、中国中央テレビの中継の中で、自分のグループが予告したが、国家地震局に無理されたと主張した。
国家地震局からは、地震予報は世界的な難題で、現状では不可能だという見解を示した。
ところが、昨日成都に余震が起きる予告をした(結局はなかったが)のはなぜ可能か、と指摘する国内のブログもある。

意図的に隠蔽か、ただの無能か、失敗か、事後の指摘に無理があったのか、これらについて、私は判断できない。その上に、このことが、中国政府、軍隊の救援努力をパフォマンスと勝手に解釈し、悪意まで感じさせられた日本の一部のマスコミに悪用されたくない。

私が指摘したかったのは、亡くなった四川の人々、子供の映像を見ている私たちの悔しさ、とくに様々な制度上の難題に直面している中国人の心の中の悔しさそのものである。
もし学校の建築が手抜き工事であれば、厳しく責任を追究すべき。今度こそ募金がぜんぶ災害地区の人々のために使え。今度こそ手抜き工事が許せない。

国内不安に導く根拠不足の感情論的な責任追及を避けたい一方、今回の失敗の教訓をしっかりと生かしてほしい。地震研究体制の立て直し、そして日本のような地震大国に、震災後の復興策を謙虚に学んで欲しい。そして、何よりもこの災害から人心の浄化が必要である。

天安門広場での叫びは、民族被害意識の高まりで終わることなく、巨大な悔しさから深刻な反省や心の浄化が生まれることを願っています。
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# by nschinese | 2008-05-21 10:52 | できごと

CD録音

日曜日に、東放学園のスタジオにて録音してきました。
今回の会話本のタイトルは『やさしい日常中国語会話』(大創出版)です。作者は私本人です。

先月の『トラベル中国語会話』(同出版社)および数年前の本を合わせて、3回目の録音になりました。慣れた部分もありますが、やはり緊張しました。

とくに雑音の関係で、録音始めると、暖房を消しますので、もともと光りの入らない部屋はだんだん寒くなり、花粉症のある私と崔さんも、だんだん鼻が苦しくなってきました(笑)。なんとか無事に終わりましたが、その仕事の大変さも味わいました。
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# by nschinese | 2008-04-07 16:51 | 教室

可愛い上海人

春節(旧正月)に帰国するときに、上海で撮った写真です。

赤い字はちょっと見づらいが、「文明行路,做可爱的上海人」という言葉です。
要するに、「交通エチケットを守ろう、可愛い上海人になろう。」

f0011015_9435917.jpg

















上海人はこれから可愛くなりますぞ!(笑)。

じつは、「可○」というのは、「すべき」という風に理解できます。

我爱她。
她可爱。    (彼女は愛されるべき人 転じて「カワイイ人」になる)

我怕上司。  (私は上司のことを恐れている。= 私は上司が怖いです。) 
上司很可怕。 (上司は恐れるべき人です。 = 上司は怖い(人)です。)

可笑 笑われるべき = おかしい(可笑しい)。

以上の理屈がわかると、中国語の「可爱」と日本語の「かわいい」の違いはわかるのでしょう。

私の高校時代に,国語(语文)教科書に『谁是最可爱的人』という名文が載っています。
一番「かわいい」人は誰だと思います。50年代の初めに朝鮮戦争の戦場で戦っている中国の軍人でした。
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# by nschinese | 2008-04-03 09:30 | 勉強